タイトルの「我孫子市ゆかりの大武道家」というのは、もちろんワタシのことではありません
(間違える人は皆無でしょうが……)
その人物とは、講道館柔道の創始者、嘉納治五郎先生のこと
嘉納先生は「精力善用」「自他共栄」を柔道の精神として掲げた教育者で、
1911年(明治44年)、我孫子市の手賀沼を見下ろす高台に、別荘を構えました
ここが嘉納治五郎別荘跡
別荘跡に掲げてある解説文
別荘跡のお庭から見た、手賀沼方面の景色
嘉納先生は、この我孫子市白山の地に、嘉納後楽農園を築き、
理想の学園を建設する構想もお持ちだったという……
嘉納先生が開校しようとしていた学園がどのようなものだったかはわからないが、
その学園が実現していたら、我孫子が文武両道の都として栄えた可能性も大いに考えられる
嘉納先生がここに別荘を構えたことで、多くの文化人、文人が我孫子に移り住み、白樺派の拠点となった事実もあるので、学園構想が実現しなかったのは、残念だった
また嘉納先生は、日本人初の国際オリンピック委員会の理事でもあり、
我孫子市のHP(http://www.city.abiko.chiba.jp/index.cfm/21,0,214,747,html )によると、手賀沼をオリンピックのボート会場にするアイデアも持っていたとのこと!?
少林寺拳法の開祖 宗道臣先生も、若い頃、柔道を学んでいた時期もあったそうですし、
この地で武道にかかわっている人は、嘉納先生の別荘が、ここにあったことぐらいは、知っておいてもいいと思います
別荘への案内の看板
手賀沼側から、別荘へと続く「天神坂」
我孫子市選定景観賞を受賞している趣のある坂道
嘉納治五郎別荘の向かいは、嘉納先生の甥、柳 宗悦(民藝運動提唱者・宗教哲学者)の住居だった「三樹荘」がある
(柳 宗悦は、嘉納先生の勧めで我孫子に転居してきて、その「三樹荘」にバーナード・リーチの窯ができて、柳 宗悦の縁で、志賀直哉が我孫子にやってきて、志賀が武者小路実篤を誘った)
また、嘉納先生は、学習院教頭、東京高等師範学校(のちの東京教育大学、筑波大学)校長、旧制第五高等中学校(現・熊本大学)校長などを務めた教育者でもあり、
第五高等学校時代の教え子だった、東京帝国大学教授の村川堅固も、近所に別荘を建てて移り住んだ
その旧村川別荘に隣接しているのが、他ならぬ、我が我孫子道院なのです
我孫子道院に隣接している旧村川別荘
http://www.city.abiko.chiba.jp/index.cfm/21,0,214,748,html
旧村川別荘の隣、
開山千年の歴史を誇る古刹、子の神大黒天の境内にある
我孫子道院の専有道場
道場から見た手賀沼の景色
嘉納先生をはじめ、多くの文人、文化人が愛した風情のある場所
学問、技芸を学び、人づくり、人育てには、最良の環境です
ワタシ自身も精進、成長しつつ、開祖の志を引き継いで、
疲弊し、閉塞感が蔓延している祖国復興に役立つ人間を育成して行くつもりです
そのためにも、まず郷土愛は必要です
「北の鎌倉」と呼ばれた我孫子です
自分たちの住む町のことにも、興味をもって、いろいろ調べてみると、楽しいし、より一層愛着が湧いてくると思いますよ~
本日の「身体の知能指数」 (PQ=physical quotient) 『105』