大事なものは目に見えない(武専体験入学 その2) | 身体からの悟りを目指して ~ 少林寺拳法

身体からの悟りを目指して ~ 少林寺拳法

我孫子道院 道院長のブログ

東日本大震災からまる1年たった今年の3月11日は、2011年度最後の千葉武専の日

この3.11をいかに過ごすかは、いろいろ意見の分けれるところだろうが、少林寺拳法の修行というのは、よりよく生きんがための学習であり、人間を学び、人間を知り、人間としての生を問うものであるので、3.11こそ少林寺拳法を行ずるにふさわしい日であったのではと思っている


まして、今月の本部からの派遣教師が、武専本校(禅林学園)の前校長で現理事長の山﨑博通先生となれば、これは聞き逃すわけにはいかないと思い、先月の2名の体験入門者に加え、さらに2名の体験入学の門下生を引き連れ、会場に向かった


午前中の学科の講義では、

「不二」=「ひとつになる」というのが話の軸で、

印象に残ったのは、

「自信、勇気、正義感、慈悲心……。これらの大事なものは、いずれも目に見えない」

というお話


そして、この目に見えない力が、午後の実技にリンクしてくる


その実技は、2011年の月刊秘伝2月号の少林寺拳法特集でも紹介された、3分間整法の指導と実習からスタート

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山﨑先生が提唱している技法は、

「力まず(リラックス)、歪めず(正中線を立てる)、詰まらせず(吸収)」の3要素がキモだという

ゆえにまず整法で身体を整え、気の流れをよくしておくのが肝要とのこと


また、説明においても気の流れやイメージといったものをかなり強調、多用されていた……


気とイメージか…………


たしかに、気の力は重要だろう。気の力のことを抜きにして武道・武術はもちろん、東洋思想も語れない

とくに武道・武術を突き詰めていけばいくほど、そうした目に見えない力、顕在意識で認識できる領域に収まりきれなくなってくるのはよくわかる


開祖も教範の「自序」に書かれている通り、斯道の奥義を言語やビジュアルで伝え尽くすことは非常に困難で、

しかるがゆえに、「合気だ」「呼吸力だ」「統一力だ」「中心力だ」といろいろな表現があるわけだ。

しかし、それらは一歩間違うと、神秘的な話になっていってしまう……


そうした先人の努力を十分評価したうえで、あえて言わせていただくと、

ワタシ自身は、技法について語るとき、いわゆる「気」や「イメージ」といった表現を極力用いないのが、少林寺拳法の魅力だと思っている


繰り返しになるが、

ワタシとて気の存在、効用は十二分に認めているし、鉤手守法について、開祖が教範で「五指を開いてその指先から気を出しながらその気を自分の方に帰るように円形に気力を使う」と解説されているのも知っている


それでも、少林寺拳法の技法は、理にかなっていて、精神論や「●●力」、イメージなどに頼らず、曖昧さがないところが支持されているような気がするのだがいかがだろうか?


いずれにせよ、科学(現実)と神秘(オカルト)との境目が、どこかにあるのは間違いない

先賢の言葉を借りるなら、

「それを見極めるのは、高度な見識と、まともな感性」ということになる


簡単にはたどり着けない境地を、ひとつずつ紐解いていくことが修行の楽しみでもあるので、わからないことはわからないまま、ひとまず頭の片隅に仮置きしておけば、気が熟したときに「ああ、あの時のあの説明は、このことだったのか」とやがて気が付く日が来るのではなかろうか


だから、どんな教えも説明も、否定しないことが肝要だ


そして大事なことは「目に見えないし、言葉で表せない」ということもよく肝に銘じておこう


少なくとも、山崎先生のワザには、絶大な効果があったことだけは、身をもって知ることができたのだから……

今回の収穫はそれで十分としておきます



身体からの悟りを目指して ~ 少林寺拳法

山﨑先生と、武専研究会の面々との記念写真

なぜか、体験入学のウチの門下生も交じっているが……

普段やらない整法も学べたし、きっといい勉強になったことでしょう

ぜひ、継続して武専で学んでください


本日の「身体の知能指数」 (PQ=physical quotient) 『105』