8月になりました!
当ブログにお立ち寄りいただいている方々に、
暑中お見舞い申し上げます
この夏は、どうしたことかセミの声を聞かないな~と思っていたら、
土曜日に、抜け殻だけは発見しました
道場の看板の下に、仲良く並んで二匹のセミの抜け殻です
当道院の正式名称は、上記の看板の表記のとおり、「金剛禅総本山少林寺 我孫子道院」
そして「金剛禅」は「金剛神」、いわゆる「仁王さま」=仁王尊に由来する名称です
仁王尊は、神仏としては珍しく二体で一対の存在です
肝心なのは、この二体で一対というところ
『およそ世の中のすべての現象は、対立したもの同士の相互の働きによって成り立っています。陰と陽、男と女、自分と他人、肉体と精神、理性と感情、交感神経と副交感神経など、すべてが一方だけでは存在し得ません。プラスとマイナスが調和してこそ電流が流れ、電燈がともるように、性質が異なり対立しているかのような存在同士が、互いに影響しあいながら調和して存在するのが、宇宙の実相にかなった姿です。
それぞれに自分の立場を大切にしながら、相手の立場を理解して、時には補いあい、時にはぶつかって磨きあい、両者ともより高い次元を目指す調和の道を金剛禅は説いています』(金剛禅読本より)
つまり、二体一対の金剛神のように、調和を目指す思想だからこそ、開祖はこの拳禅一如、力愛不二の法門を『金剛禅』と名づけたのです
開祖の法話にも、次のような一節が残っています
「仏教の源流のスタイル、天地陰陽の調和を説き、対立した姿、天地陰陽のバランス、2つのもので1つの目的を表しているものは、仁王さん以外にはないのですよ。キリストだって一人、日蓮も一人、お釈迦さんだって一人だ」
今週末は、日本武道館で全日本少年少女武道錬成大会が開催されるが、そこで披露される少林寺拳法の組演武も二体一対
さらには普段の演錬も「組手主体」で、こじつけでなく調和の思想の実践、宇宙の実相へのつながる道となっている
そうした我らの道場の玄関に、セミの抜け殻が二体一対で残っていたのは、
「張り切りすぎて、ギスギスした演武になるなよ」という、大会参加拳士への、天啓(メッセージ)だったのかもしれない!?
(さすがに考えすぎか?)
いずれにせよ、本番では我の強い演武でなく、身心統一、自他一体を体現し、普段の稽古の成果を遺憾なく発揮してもらいたいと思っている
みんな、普段どおりの演武ができたら、それだけで百点満点なんだぞ~
大舞台で固まることなく、伸び伸びとした演武を体現して、いい思い出を持って帰ろうな
我孫子道院の祭壇に、本尊(達磨大師像)を挟んで、脇侍として安置してある仁王尊像
写真上、口を開いた一体が、密迹金剛神(阿形)
写真下、右手を下段に力強く張っているのが、那羅延金剛神(吽形)
この「阿吽」二体の豪快な立ち姿は、少林寺拳法の遠祖(?)、
古代インド拳法である天竺那羅之捔の構えともいわれています
本日の「身体の知能指数」 (PQ=physical quotient) 『104』