少林寺拳法を通して、かれこれ20年以上子供たちと接してきたが、
最近とっても気になることがある。
それは、身体の固い子が増えてきたこと。
稽古前の準備運動で、ストレッチをやらせると各部が固い。
でもそれ以上に問題なのが、各関節の稼動域の狭さに関係なく、
動きの質そのものが固い子が増えてきたように思えること。
動きの質が固い子は、突き・蹴りなどのワザのキレ(「極め」と「冴え」)がなかなか身につかなかったり、受身がペタッと潰れがちになる傾向がある。
かつては動きの質の柔らかさは、子供の特権(個体差はもちろんあるにせよ)だと思っていたのに、なぜだろう???
屋外で身体を使って遊ぶ機会が減ったからというのも、大きなひとつの要因だろうが、本当の原因は複合的で、特定するのは難しい。
でも、身体が固まると、頭も固まり、心にもゆとりがなくなってくる。
すぐにキレたりするのもそのせいだろう……
1980年代にも、力んで固まっている子供はたくさんいたが、
あの時代の固まっている子は、どちらかというと「やる気」からくる力みで、まさに頑張ってしまった結果、身体が固まっていたような気がする。
それに対し、最近は頑張って力んでいる子はむしろ稀だといっていい。
(※既述のとおり、身心自在の境地を目指す人にとって、“頑張る”は大敵であり、タブーである)
新しいタイプの身体の動きが固い子は、ダラ~として姿勢が悪いのに、身体が固まっている。
これは一体?????
身体が固まる主たる原因は、ストレスといわれている。
つまりそれだけ、いまの子供は日常生活で大きなストレスに晒されているのだろう。
でも、80年代の子供だっていろいろストレスはあっただろうし、受験戦争などはその際たるものだったはず。
にもかかわらず、大学全入時代になったいまのほうが、子供のストレスが多いように感じられるのはなぜだろう。
子供が一番ストレスを感じることは、
いまも昔もじっとしていることだとワタシは思う。
小さい子供は、うろちょろ動き回るのが自然で、それを無理やりじっとさせると、たちまちぐったりしてしまう……。
ダラ~として、姿勢が悪いのに、身体が固まっている子供は、無理やりじっとさせられてぐったりした経験が、人より多かった子供だったのではないだろうか。
それで思い出したのが、学校の体育などでおなじみの「体育座り」(「三角座り」ともいうらしい)。
あの姿勢は、背中を丸めて、顎を突き出し(胸は塞がり、当然呼吸も浅くなる)、両膝を曲げて、両手を組んで、身体を一塊に固めるトレーニングとしか思えない。
先日お亡くなりになった、演出家の竹内敏晴氏も、
「教師のためのからだとことば考」(ちくま学芸文庫)という著書の中で、
『「三角座り」は、手も足も出せぬ姿勢で、人体を「物体化」している』
と非難しているが、あのような姿勢を、義務教育の9年間で習慣化することが、どれだけ日本人のパフォーマンス低下に影響しているかは計り知れないものがある。
子供にとっては、罰ゲーム以外のなにものでもない!
たまたまご縁があって、今年から娘が通う小学校のPTAの役員をお引き受けすることになったので、ぜひともこの「体操座り」の廃止と、「頑張る」の禁句化は推進したいと思って、先生方には要望を出してはいるのだが……
(七転び八起きの達磨精神で、地道な努力を続けます)
ともかくこういう時代だからこそ、子供たちには道場で楽しみながら、身体を大きく動かして、さらにリラックスした身体でなければ体現できない高度な身体運用にも挑戦してもらい、普段出せない大きな声も出して、いい姿勢で、広く、深く、長い呼吸を味わって、ゆるんだ身体とゆとりのある心を身につけてもらいたいと思っている。
(もちろん子供だけでなく、一般部の拳士にも!)
現代において、武道を学ぶ大きな意義は、こういう面にもあるのではないだろうか。
本日の「身体の知能指数」 (PQ=physical quotient) 『110』