考え方や価値観、基準や普通の感覚が変わってきて、それに合わないふるまいやしくみが目立つようになってきました。
積極的に変えたい人、変えたくない人、変えようとする人、変えようとされる人、その間で軋轢、反目、抵抗、対立等々が生じ、心の中でもそれに伴って様々な体験をしているなと思います。
変える側、変えられる側は、対立する関係ではあるのですが、一方で、共通するものもあって、それについて考えたいと思います。
共通しているのは、「今までと同じ」を手放す、ということです。
手放すものは、これまで慣れ親しんできた習慣、時間、愛着を感じるものや人、場所、関係性・・・いろいろです。
たとえ自分が変えることを望んでいたとしても、それまでの状況に一生懸命適応しようとしてきた自分を否定したり、決別しなくてはいけないような気持ちになるかもしれません。
そんな気持ち、私も感じています。
変わることは、何かを失うこと
みんな、変わることに伴う痛みやさみしさを引き受けることなんだなと思います。
その程度や受け入れ方は、人によって、だいぶ差があるでしょう。
気付かないかもしれないし、「一抹の」ぐらいかもしれないし、あるいは、自分のこれまでの人生が否定されるほど、生きる気力を失うほど、巨大な喪失感かもしれません。
あなたの身の回りで、今どんな「変化」が起きていますか?
それはささやかなことでしょうか、大きなことでしょうか。
あなたは、それを起こそうとしている人ですか、それとも気がすすまない人?
変化によって生まれたこと、新しい良いことの陰に「失うもの」はありませんか?
あなたはそれを思うとどんな気持ちになりますか?
あなたの身の回りの人で、今何かの「変化」を受け入れるために、苦労している人はいませんか?
私たちは変える内容や、なぜ変えなければならないか、どうやって具体的に変えていくのかの話は、熱心にやりますが、「変わること」そのものの影響については、あまり普段の生活の中で、人と語りあっていない気がします。
言葉にすると、「逆行だ」とか「執着だ」「古い人間だ」とか、言われてしまいそうだからでしょうか。
世間がよしとすることや、向かう方向と違っていたら、ためらいますよね。批判されるし。
でも、語ることって、「逆行」でも「反抗」でも「執着」でもない、別の機能も持っています。
なんとなく失うことで感じる寂しさを、言葉にして、じんわりと一緒に受け止めあう、そんな機能。
話しながら、一緒にさようならをするような会話。
会話のおしまいに、その先に向かうための元気が、ちょっとだけ出てくるような、そんな会話。
変える自分が受けている寂しさ
変えられる人が、感じている寂しさ
その両方を受け止めて、分断を避けながら、新しい変化を受け入れていけたらいいなと思います。
さしあたり
私が困っているのは、昨日の研究室の大掃除ですっきりした書棚とひきかえに生じている、捨てられる古い本たちとの別れの寂しさ。
ぽつぽつと口に出してみようかな。