奈良県に、古墳が集まっているところがあります。
その古墳には、ため池がついています。

しかし、この古墳の集合が、
ため池作りのために造られたかどうかは、謎だそうです。
ただ、ため池があったからこそ、
その周辺で大規模な水田開発ができたともいいます。
NHKEテレ『先人たちの底力 知恵泉/LOVE米で幸せをつかめ』によると、
佐賀県唐津市に、2900年前の弥生時代早期にまでさかのぼるの菜畑遺跡で、水田跡が見つかっているといいます。

今のところ、
これが一番古い水稲栽培を行っていた遺跡ということでした。
番組ゲストの京都府立大学の佐藤洋一郎教授は、
米作りは社会を動かなくするといいます。
獲物を求めて移動する狩猟民族とは違い、
生きるための糧を得るために同じ場所に腰を据える、
いわば覚悟を決めて定住する。
そして集団ができ、
集団が集まり、クニを造る。
“コメ作りはクニ造り”
というのが、番組のメインテーマでした。
ということは、日本で一番長くコメを作ってきたのは佐賀県だから、
日本という国のもとは、佐賀県だ、という結論になります。
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どっかで、間違ったような (?_?)

佐藤教授は、
古墳といえば、日本人の誰もが思い浮かべる大山古墳、別名仁徳天皇陵に、
どれくらいの人(労働力)が要ったか計算した人がいたといいます。
それによると、
1日2000人として、15年8ヶ月だそうです。
しかし教授は、古墳だけで、周りにはもっと大勢の人、
たとえば埴輪を作る人など、万の人がかかわったと思えるといいます。
その人たちを食べさせるためには、米が要る。
そのためには、田んぼを増やさなければならない。
田んぼを作るためには、土地整備などの技術が必要になる。
これらが古墳をスタートにして、混ざって、
ある種の循環が生まれていた。
そう考えられるというのです。
ひょっとすると、
夏に米を作って、冬に古墳を造る、
というようなことも行われていたかもしれないともいいます。
そういえば、
夏に米を作り、農閑期の冬に酒造りをする。
そんなところを、以前紹介しました。
『ETV「田んぼ物語」― 限界集落に、新しい命が生まれた。』
お酒のもととなる米作りと、その米から造る日本酒が、
奇跡的に限界集落の限界を打破するきっかけを作った、というお話です。
現代人が考えることを、
昔の人も考えたということは、当然ありうることです。
佐藤教授は、エジプトのピラミッドと同じかもしれないといいます。
ピラミッド建設が、失対事業であったことは、今日、よく知られています。
失対事業とは、番組によると、
“国などが、一時的に就業機会を創出し、救済すること”だそうです。
エジプトのピラミッド建設については、
『ビールは、ピラミッド建設のサラリーだった。』を投稿していますので、見てください。
日本の古墳建設も、失対事業であった可能性があることを、教授は指摘しているわけです。
”水は、高きより、低きに流る。”
教授によれば、
水を使うようになって、上から下に流れてくるので、
順番に、規則的にやらないと、自分の土地だけという主張では、回らなくなる。
集団としての、協調が必要になってくるといいます。
作家の平松洋子さんは、
“日本人のもっている精神性が、米作りを通してつくられていった”のではないかともいっています。
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