今から約900年前、現在のウクライナを中心とする「キエフ・ルーシ」と呼ばれた地域に
、一人の偉大な君主がいました。
その人物の名は、ウラジーミル・モノマフ。
1053年に生まれ、1113年から1125年までキエフ大公の地位にあった人物です。
父はキエフ大公フセヴォロド1世、祖父は「賢公」と呼ばれたヤロスラフ賢公。
ビザンツ帝国とも深い関係を持つ王族の血を引いていたとされています。
モノマフの人生は、決して穏やかなものではありませんでした。
当時のキエフ・ルーシでは、周辺の遊牧勢力との争いや、
王族同士の権力争いが繰り返されていました。
モノマフ自身も若い頃から軍事行動や外交に携わり、父の統治を支えています。
彼が後年、自分の人生を振り返って記した『子どもたちへの教え』には、
83回の大きな遠征を行い、19回にわたって和平を結んだという趣旨の記述があります。
戦うだけではなく、和平や外交にも取り組んだ人物だったことがうかがえます。
そして1113年、キエフで政情が大きく揺れた際、モノマフはキエフの大公として迎えられます。
そこから1125年まで、キエフ・ルーシを統治しました。
しかし、モノマフには「戦う君主」という顔だけではありません。
彼は自らの経験や、君主としてどう生きるべきかを子どもたちに伝える文章を残しています。
そこには、怠けず働くこと、人を不当に扱わないこと、弱い立場の人を見捨てないことなど、
当時の君主としての心構えが記されています。
そんなウラジーミル・モノマフにまつわる、興味深い「もう一つの物語」があります。
それが――チャーガです。
チャーガは、白樺などに寄生して成長する黒いキノコで、日本では「カバノアナタケ」と呼ばれています。
チャーガは東ヨーロッパで12世紀頃から伝統的に利用されてきたとされ、歴史資料を紹介した研究レビューには、
キエフの君主が唇の腫瘍にチャーガを利用したという記録が紹介されています。
この「キエフの君主」がウラジーミル・モノマフとされることから、現在のチャーガ研究でも、
モノマフとチャーガの逸話がたびたび紹介されています。
歴史資料に基づいて伝えられている逸話です。
それでも興味深いのは、1000年近い時を超えて、当時の人々が森の中から見つけて利用していた黒いキノコが、
現代でも研究対象になっているという事実です。
現在、チャーガには多糖類、トリテルペノイド、メラニン、フェノール類など、
さまざまな成分が含まれることが知られています。
戦乱の時代を生き抜いた一人の大公。
その人物にまつわる古い記録の中に登場する、森の黒いキノコ。
それが、現在私たちが「チャーガ」と呼んでいるものです。
900年近い時を経てもなお、その成分や利用法について利用され研究が続けられています――。
長い歴史と人々の暮らしとの深いつながりを感じることができます。
昔の人々が森から見つけた「黒いキノコ」。
今も私たちの時代へと続いているのです。


