Facebookには書けなさそうだから、こちらで書こうと思います。
筆名万歳。
子供の生まれた友人の家に行った。彼女は大樹のような雰囲気があって、私は彼女に会うたびに閉口できる。何も話さなくてもいい私になる。彼女のペディキュアはいつも真紅であれば「ああいつもの彼女だ」と私は安心するし、彼女の瞳がたくさんの光を吸収すると「ああ、やっぱり彼女の瞳は丸くてキラキラしている」と思う。
彼女の家に出向いた朝、泥のようにねむりこけて、一度起きたにも関わらず私は再度眠ってしまった。
同級生がYoutuberとして成功して、大食いの女性と授かり婚をしたと聞いた。唇を突き出す面影はそのまま、声は成人男性のそれに変わり、果物を大量に食べる新妻の隣に座っていた。中学生の時の彼しか知らないから、大人になって闊達に喋るその姿は全く知らない男性のように見える。
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不思議だ。子供を見ていると不思議な気持ちになる。
私は面倒くさがりだと見せつけられる。彼らは頻繁に動き、眠たかったら眠って、あやしてもらいたければ必死に母親を呼ぶ。母である友人が赤子を自然とあやすその姿は、高校の同級生が赤子をあやしていた姿と同じで、「私は親にはなれなさそうだ」といつも思う。
なぜ育てられるのだろう、なぜ産めるのだろう。私が味わったあの屈辱を、自分の子供にも味合わせてしまうのではと思うと、二の足を踏むどころでない。十でも百でも私はその場で土を踏み鳴らし、へこませていくことだろう。
朝が来る絶望を、味わったことがありますか。朝が来るたびに、今日も生きていきねばならんのかとひどく絶望したことがありますか。
私はあります。あの毎朝、決まりきったように一定のリズムで朝が来る絶望は、希望の真北。
孤独の島で、書物も新聞も読めず、テレビの構成すら見抜けず、三分経つと頭痛がするあの絶望。
頑張ることを恐れるあの日々を、私は決して忘れられない。
でも、こうやって文字に起こして、感情に輪郭をつけていくことで、いつか他人に希望を贈れたらと思っている。
私は、また人と比べて不安になる。こんなふうに毎日文字を打つだけでよいのだろうかと不安になる。ボーヴォワールのように生きられたら幸せかもしれないと思う。休みの日に子供を連れて遊びに行く自分をあまり想像ができない。いつまでも子どものように、知の海を漂い、嵐に飲まれ、こんなはずではなかったといって狂いながらも、たまに見つける小島で、「ようやっとここにたどり着いた」と言って笑ってみたい。
今日も、ぼちぼちと頑張ろう。
34歳でデビューして、35歳で産みたいような気もするけれど、産まなくてもいいような気もして
どうしたものかと思う。
