当時住んでた市営は新しい作りで、
バリアフリー。
トイレの戸は引き戸でした。
そのドアがレールから外れ、倒れ、
そこにたーくんの姿がありました。

その時叫んだような気もするし、絶句してた気もするし、
今でも思いだせません。

震える手で救急車を呼び、義母に電話をして…

たーくんは吐いてました。床にあたっている顔の部分も吐いた物で汚れてた。
救急車くるまで、たーくんの体を動かさず、汚れを取り除きました。
その間何度も何度も名前呼んでも全然反応なくて。
救急隊が来てくれた時に、これでたーくん助かる!
て、一瞬ほっとした気持ちになったのを覚えています。
ただ、そんな気持ちも束の間…
たーくん意識はないのに排泄が始まって…

死んじゃう!て…
早く病院いかなきゃ!
救急隊の人はまずそれをキレイにして下さいと。
急いで拭き取って…私パニックだったからそこら辺にあるもので手当たり次第に拭いて…

やっと担架に乗せられ救急車へ。
家でる隊員の1人の方が、『奥さん!着替えと、靴持って!』と言ったので、
すぐに用意して持ったけど、考えてみたら、こんな物また後日でも用意できたから、隊員の方も慌ててたのかな…なんて今では思います。



ここまでが『あの日』の出来事です。

今落ち着いてるから、こうして文章にして残しておこう!
と思ったけど…

実際思い出すのは
辛いですね…

このあとの病院での処置、経過はまた
あらためて書きます。そしてたーくんの闘病記も。


私の中で今思う事は、今日が無事1日終わってほしいという事。
そして、
たーくん。生きてくれてありがとう。
です。