降とまで人には見せて花曇
この句が墓石に刻まれているとのことですが、磨耗して読めません。
この句、井月自讃の弁がありますので、すこし見てみましょう。
「・・越路の雁も帰るなる、名残の空の八重霞、頃は弥生も晦日がた、・・花ノ香くもる駒ヶ根の、梺につゞく駅路や、赤穂の町は取分けて、・・祭れる法の光前寺、神かあらぬか昔より、伝ひて諸人群集する、例は不動明王と、檜舞台で近付に、成田を茲に移し絵や、・・」
赤穂村(駒ヶ根市)光前寺の祭礼の日の口上ですが、越路とか自分のよく知っている地名をすんなり述べて、光前寺は地元ですからここの本尊は秘仏の不動明王といわれています。祭礼の日にご開帳があるかもしれませんが、地元の人も見てないかもしれません。
おもしろいのは「成田を茲に移し絵や」という口上は、あきらかに成田山新勝寺の不動明王像を、井月は、見て記憶しているととれます。実際、成田山までいったのか、江戸深川に深川不動堂というのがあり、これは下総成田新勝寺の東京別院です。元禄十六年に成田不動の最初の出開帳があり、その後、安政三年(1856)まで12回ほどの出開帳が永代寺(不動堂)で行われた。井月はこの出開帳(秘仏特別公開)の時、成田不動明王を拝観したのかもしれません。
今調べましたら、本尊の不動明王は成田自寺でも秘仏で特別開帳しなければ拝観できないです。井月がわざわざご開帳の時に成田まで足を運んだかどうか。江戸深川の永代寺で出開帳の記録が残っています。
天保13年(1842)深川永代寺八幡宮社寺 出開帳
安政3年(1856)深川永代寺八幡宮社寺 出開帳
この二度の機会が、成田山不動明王を江戸で拝観できるチャンスでしょう。わたしはこのうち安政3年の出開帳で、井月は、不動明王を見たのではないかと思う。安政2年(1855)には、江戸で大地震がありました。
・・安政3年(1856)の成田山出開帳は、3月20日より60日間、深川永代寺で行なわれた。この時の様子が『武江年表』に描かれてあり、「開帳中、日参朝参等夥しく諸人山をなせり。永代寺境内は寸地を洩らさず、看せ物、茶店、諸商人の仮屋をつらねたり。又奉納の米穀、幟、挑灯、扁額等境内に充満せり」(孫引き多謝)
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天保十三年(1842) 三月三日~五月十三日 成田山新勝寺(貫首・照阿)が永代寺で出開帳。
四月六日 七代目市川団十郎、手鎖となる(六月、江戸一〇里四方追放となり成田に隠棲)。
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○天保十三年(1842)といえば、九月、青梅で早苗の玉川水源探索二度目の試みがあった。これには、カツゾウも供の者として同行していたから、同年春には江戸にいて深川の永代寺での新勝寺出開帳には、井月も参拝した可能性あり。