毎年、命日の二月十日の墓参りは
やたら雪が多いような。
今年は例年の雪が、嘘のような暖かい天候だった。
竜二が亡くなったときに、竜二に誓った事が幾つかあった。
・毎年必ず墓参りに行く
・竜二の分で一生懸命生きる!
・自分が死ぬまであなたのことは忘れない
墓参りには行けない年もあったが、概ね顔は出せてるでしょう。
竜二の分まで一生懸命生きているかと言ったら、堂々と胸を張ってそんなこと言えません。
自分が死ぬまで竜二の事を忘れる事はないかな。
そんな竜二という男ですが
私が中学1年生の時に出会った人間であります。
入学式から席は前後
最初に何を話したかは覚えてないけど
少年団でサッカーをやっていて、一緒にサッカー部に入学するという事で
すぐにお友達になったのである。
仮入部までも、少し時間があったから
学校が終わって着替えて小学校に行ってボールを蹴ったりなんなり
2人とも同じポジションが希望だったから
2人でダブルボランチ組もうなんて勝手に決めたりなんなり
同じ班で給食も食べて
同じ班で技術室の掃除もしたりして
これからどんどん仲良くなっていくんだなぁと学校生活を過ごしていたら
入学してから2週間で体調が悪くなり
それから学校生活に戻ってくる事は無かったんだけれども
仲がより深まっていったのは病気になってからで
よくメールもして、よく皆んなで家に遊びに行って
体調が良い時は一緒にレッズ戦観に行ったり
今のレッズの体たらくはなんなのさ〜
浦和のプライドはどこいったの〜
とにかく竜二はサッカーとレッズが好きな男で
真っ直ぐで、人に優しくて
余命3ヶ月って言われてたみたいだけど
結局、丸3年近く生き抜いて
とにかく生きたいって気持ちが、物凄く強くて
病気ってことに全く弱音も吐かずに
いつも笑顔だったな〜
いつも笑顔で元気だったから、病気って事も忘れて家で遊んでた
亡くなってからお母さんが
「竜二は自分が辛い時に皆んなに会いたくないから、元気な時に皆んなと会って遊びたがってた」
なんて事を話していた。
亡くなる何日か前に、家族から電話が来て
多分もう会うのが最期だから病院で顔を見せてあげて欲しいと連絡貰って会ったのが最後で
「何で勝手に呼んだんだよ」って
凄い竜二がお母さんに怒ってて
まともに話もしてくれなくて
そっぽ向いちゃって
「友達に辛い姿を見せたくなかったみたい、ごめんね」って
強いよな
そういえば病院で会うのもそれが一度きりだったし
本当に元気な姿しか友達に見せなくて
大人でも耐え難いような辛い闘病をしてたのに
今振り返っても本当に強い芯のある人間だったと思う
毎年、小学校の友達が中心になって竜二の家に行って両親に顔を見せているようで
去年むっちから声をかけてもらって
今年もたかとが声をかけてくれて
小さな宴会をやるのが恒例となっている
「まだ受け入れられてないかもしれないけど、やっとここ2、3年で竜二の死を受け入れるようになってきたかもしれない、それは皆んながこうして集まってくれて竜二の昔話を話してくれてるから」
なんてお母さんは言っていた
お父さんは皆んなと一緒に飲むのが好きで、色んな昔話をいつもしている
今日発覚した衝撃の事実が
お父さんは国家公務員で日本人の男性で初めて育休を取得した人物という事
その時の子が竜二で、地元の小さな記事にも載ったそうな
絵に描いたような優しい両親の元に
出来る限り顔を出してこれからも色々と思い出話をしたいと思ってます
人間の死は忘れられた瞬間
と昔、何かの映画の台詞で誰か言っていました
人の生死とはなんでしょう