まいまいのブログ

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私はこれまでの人生で、「心から幸せだ」と思えた瞬間をいくつ持っているだろうか。そう考えると、答えはひとつしか浮かばない。子どもが生まれ、その成長を見続けてこられた時間。それだけだ。

子どもの頃、「幸せ」という言葉の意味なんて知らなかった。ただ、毎日が楽しかった。それで十分だった。思春期になれば、やりたいことだけをやって、周りの心配なんて気にも留めなかった。楽しければいい、それがすべてだった。

大人になると、世界は一変した。責任という重さを知り、生きていくことに必死になった。幸せかどうかを考える余裕もなく、気がつけば時間だけが過ぎていった。

結婚すれば幸せになれる——そんな単純なものではなかった。少なくとも、私にとっては違った。むしろ、苦しさの方が多かった。それでも、妊娠し、子どもを産んだあの瞬間だけは違った。あれほど満たされた気持ちは、後にも先にもない。「無償の愛」とはこういうものなのだと、初めて知った。

人は裏切ることがある。夫も、恋人も。けれど、子どもは違う。反抗期にぶつかることはあっても、根底にある想いは変わらない。そこには確かな繋がりがあった。

振り返ってみると、私は自分自身のための幸せを持たずにここまで来たのかもしれない。この先も、それが訪れないのだとしたら——少しだけ、神様を不公平だと思ってしまう。人生のどこかで、ほんの少しでいいから、心から幸せだと感じられる時間が欲しかったと。

これは運命なのだろうか。それとも、自分で選び続けてきた結果なのだろうか。もし後者なら、私は何度も分岐点を間違えてきたことになる。

それでも、人には恵まれてきた。そこだけは胸を張って言える。だからこそ思う。この先、ひとりになるとしても、これまで出会った人たちとは、どこかで繋がっていたいと。

けれど、ふとした瞬間に考えてしまうことがある。もし今、私がいなくなったら——悲しんでくれる人はいるのだろうか。私のことを、忘れずにいてくれる人はいるのだろうか。

それは、誰かを疑っているわけではない。ただ、自分に自信がないだけだ。自分は、いなくても変わらない存在なのではないか。そんな考えが、静かに心に広がる。

誰かに必要とされていると感じたい。できるなら、ずっとそばにいたいと思ってくれる人がほしい。でも、今の自分には自信も余裕もない。だからこそ、そんな人が現れないことも分かっている。

変わりたいと思う。もっと自信を持って、心に余裕を持てるようになりたい。けれど現実は、そんなに簡単じゃない。

もしこの先、心からの幸せを感じることができないのだとしても——せめて最後くらいは。

「ああ、悪くない人生だった」

そう思いながら、静かに、誰にも迷惑をかけずに、この世界を離れていけたらいい。空の向こうへ、そっと溶けていくように。