http://www.tbs.co.jp/chasseriau-ten/

 

2月27日、内覧会に参加させていただきましたので、レポートいたします。なお会場内の写真は展覧会主催者からの提供していただきました公式写真です。

 

さてシャセリオーさんのことはこれまで全く聞いたことすらなかったのですが(美術検定の公式テキスト「西洋日本美術史の基本」には載ってません)、結論から言えば、絶対見ておくべきだとオススメします。

 

国立西洋美術館入口看板(カバリュス嬢の肖像、部分)

 

会場内情景(カバリュス嬢の肖像)

 

シャセリオーさんは19世紀前半(1819ー1856)37歳で夭逝したロマン派の画家。本展のメインビジュアルとなっている「カバリュス嬢の肖像」(1848年、135×97.7cm、カンペール美術館)もいいんですが、シャセリオーさんと恋愛関係にあった女性たちの絵にぐっときました。

 

会場内情景(泉のほとりで眠るニンフ)

 

出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)

作者 テオドール・シャセリオー (1819–1856) 
タイトル English: Bather Sleeping Near a Spring Français : Baigneuse endormie près d'une source
日付    1850年
技法    キャンバス、油絵
寸法    137 x 210 cm
所蔵    Calvet Museum Link back to Museum infobox template wikidata:Q1142988 Avignon

 

「泉のほとりで眠るニンフ」(1850年、137×210cm、フランス国立造形芸術センター) ニンフと言いながら脇毛が描かれていて同時代の女性ヌードであることは一目瞭然。抜群のプロポーション、深い森の緑を背景に浮かび上がる眩いほどの白い肌、蠱惑的にまどろむ表情などまさに物語を紡ぎたくなるようなエロスでしびれます。

モデルは女優のアリス・オジーさん。彼女はシャセリオーさんの他ドーマル公爵、ヴィクトル・ユゴー父子、ゴーティエ、ルイ=ナポレオン・ボナパルト等多くの有名人と浮名を流した時代のミューズだったようです。パリで最も美しいと賛美された体の持ち主だったことから多くの詩人が称える詩を捧げ、多くの画家が描きました。シャセリオーさんとアリスさんの関係は2年ほどだったようですが、ユゴーの「見聞録」には二人の情熱的な関係が記載。

 

1849年2月、(紅真珠に赤いカシミアのショールの)アリス・オジー(ズビリ)が夜食に同席したユゴーに乳房や脚を見せつけて恋人シャセリオーを翻弄する様子である。「『私のような可愛らしい女と付き合うにはあなたは醜すぎるの。・・・ねえ、セリオ、彼に私の乳房を見せてほしい?』『そうなさい』・・・彼の声はしゃがれ、顔は青ざめ、ひどく苦しんでいた。・・・セリオが身動きする前に、彼女は踵をテーブルの上に置いていた。ドレスはまくりあげられ、透ける絹の靴下をはいたこの世で一番美しい脚がガーターの高さまで見えていた。私はセリオのほうへ振り返った。彼はもはや声を出さず、身じろぎせず、頭を椅子の背に仰け反らせていた。気絶していたのだ。ズビリは立ち上がった、というよりも直立した。つい先ほどまで媚態に満ちたその瞳は今や苦悶を極めていた。(本展図録p135)

 

この記載にアリスさんは後年反論したようですが、官能小説のようなこういう表現はシャセリオーさんの絵にとてもふさわしいように思えますね。

 

さてシャセリオーさんの作品でもうひとつ押さえておきたいのが、異文化へのリアルな眼差しなんです。所謂異国趣味ではなくて、肌や宗教、言語、風俗が違う人たちの現実への共感による眼差しがあります。そこに描かれた人々への普遍的な感情と文化の多様性へのリスペクトが素直に伝わってくるのです。

会場内情景

コンスタンティーヌのユダヤ人街の情景

(1851年、油彩/カンヴァス、56.8×47cm、メトロポリタン美術館)

 

出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)

テオドール・シャセリオー (1819–1856)   
Français : Marchand arabe présentant une jument au Palais des beaux-arts de Lille.
1853年

 

シャセリオーさんのこうした眼差しはお父さんのブノワさんのことをおさえておくといいかもしれません。図録から引用します。

 

17人の子供の末子であったブノワ・シヤセリオーは、ナポレオンによるエジプト遠征やサン=ドマング遠征においてごく早くから頭角をあらわしサン=ドマング島に住み着いた。この植民地の島において、彼は不運な決闘の末に、事務局長という羨むべき役職を離れ、サマナのコーヒー農園王となった。ここで後に息子のテオドールが生まれることになる。1813年には、ラテン・アメリカの「解放者」、シモン・ボリヴァル将軍のもとで、彼はスエヴァ・グラナダ共和国の主要な閣僚の一人となった。これは、ベネズエラに続いて二番目にスペイン支配から解放された国である。スペインの圧政からの自由と解放の大義のために彼がとった行動は、数年後にコロンビアとなるこの共和国の市民権獲得に値するものであった。
ブノワは影の存在として、いくつかの戦いに参加した。 なかでも18l4年にボルトベロ(パナマ)解放を目指す隠密の遠征軍を率いたのは彼である。1823年には、当時のフランス外務大臣であったフランソワ=ルネ・シヤトーブリアンはブノワをコロンビアに諜報部員として送っている。この仕事において、ブノワは15歳の長男フレデリックを秘書とした。この波乱に満ちた人生は、彼がフランスの外交業務に完全に就くまでは休む間もなかった。アンティル諸島での領事のポストはいつも彼を、パリに住む妻や5人の子供たちから、少なくとも物理的には、引き離した。その後の手紙は、いかに彼がこの別離に苦しんでいたかを教えてくれる。
ブノワ・シヤセリオーは何度かヨ-ロッパに戻っているが、その子供たちは一人も、多大な費用がかかる上、5週間の船旅と検疫期間を要するアメリカヘ再び旅することはなかった。だが、数カ国語を探り、巧みな語り手特有のゆったりとした話し方をしたこの父親が、自分の不在にもかかわらず、子供たちに、世界へ開かれた精神と肌の色に関係なく他者を受け入れる心を与えたことは確かである。テオドールの兄フレデリックが、海軍植民地省から、フランスが
植民地において奴隷制を廃止するときに取るべき措置の研究を一任されたのは偶然ではない。その実現はもっと後、1848年を待たねばならないのだが。
フレデリック・シャセリオーが黒人奴隷解放を支持した思いは、父から受けた教育の影響から生まれた。 未来の画家はアメリカに戻ることはなかったが、パリで最初の日々を、ベネズエラから到着したばかりの若者、数成年上のホセ・フェリックスリバとともに過ごしている。ブノワ・シヤセリオーが保護を託されたこの若者は、シモン・ボリヴァルの従兄であり、ベネズエラ解放の英雄の息子であった。(本展図録P9)

 

ブノアさんすごいですね。世界を股にかけて仕事をし、あのシモン・ボリヴァルとともにスペインからの南米諸国独立運動に身を投じ、長男は黒人奴隷解放に注力と大河ドラマになりそうな人生ですね。

そしてトランプ大統領による人種差別政策とか森友学園のヘイト教育とかものすごく「いやなかんじ」が蔓延する今だからこそ、シャセリオーさんの「他者」をありのままに捉え受け入れることによって生み出された作品の現代的価値が特に感じられるのかもしれません。

もう二度とこの規模の展覧会はないかもしれないとのことですので、理想化された女性美に酔い、異国の文化に出会える機会をお見逃しなく!

 

【開催概要】

シャセリオー展―19世紀フランス・ロマン主義の異才
会期:2017年2月28日(火)~2017年5月28日(日)

会場:国立西洋美術館
開館時間:午前9時30分~午後5時30分
       毎週金曜日:午前9時30分~午後8時
       ※入館は閉館の30分前まで
       ※シャセリオー展は土曜日の夜間開館はありません。
休館日:月曜日(ただし、3月20日、3月27日、5月1日は開館)、3月21日(火)
観覧料金:一般1,600円、大学生1,200円、高校生800円