映画「氷の花火 山口小夜子」のパンフレットは買っておいた方がいいですね。
「氷の花火 山口小夜子」公式サイト


映画の終盤、館内はすすり泣きで満ちてました。涙を流すだけでなく嗚咽するような人も。凄すぎます、山口小夜子さん。そしてこの映画。

生前、山口小夜子と交友のあった松本貴子監督が、彼女と親交のあった人々の証言を集め、残された貴重な映像に触れながら「山口小夜子」を探す旅に出る。(公式サイトイントロダクション)

松本監督が山口小夜子さんと再会する旅の出発点は、山口さんの遺品の開封。2007年8月14日にお亡くなりになって以来封印されていた遺品が、山口さんが通った杉野学園で服飾を学ぶ学生さんの手によって開封されていきます。着用していた衣服やアイテム、スクラップブック、書籍、映画のビデオ、お人形等などが、「深呼吸」させるべく広げられていきます。その開封の過程で山口さんのことを全く知らなかった彼女たちがどんどんその遺品から山口さんに惹きこまれていく。ほしいものがいっぱい、きれい、可愛い・・・・。
ああ、山口小夜子は生きているなぁと。
松本監督が再会すべく始めた旅の果ては、いまでもこれからも山口小夜子は生きている、そして人に働きかけ続けている、だから山口小夜子さんに心惹かれた若いデザイナー、写真家たちが「山口小夜子」を創造し続けていくのです。
それは2015年4月11日~6月28日開催された「山口小夜子 未来を着る人」(東京都現代美術館)にて、様々なアーティストが「山口小夜子」を表現していたことからも感じとっていたのですが、この映画では「永遠の小夜子プロジェクト」として見せてくれるのです。
その現代に小夜子さんを甦らせるチームには、写真家下村一喜さん、デザイナー丸山敬太さん等が集い、山口小夜子さんのメークを手がけていた富川栄さんの手によって、モデルの松島花さんが、どんどん「山口小夜子」になっていく様子が映しだされるのです。
丸山さんはその過程でもう涙ぼろぼろ、観客もまるでこの場面に立ち会ったかのように涙腺崩壊。黒髪でおかっぱで切れ長の目という「山口小夜子」というフォームをベースに時代の魂を吹き込んだとき、2015年を着込んだ「山口小夜子」が間違いなく現出していたのです。
「山口小夜子」というフォームは永遠だと感じられたとき、何か大事なものが未来に残っていくという「きぼう」が私達の心を打つんです。
そして、おそらく山口さんの活躍した時代を共有した世代の人には「山口小夜子」が甦った姿に、輝いていた苦しんでいた自分の70年代80年代を重ねることによって心が震えて嗚咽するんです。

私は、1949年生まれの小夜子さんより10歳若い「新人類」と呼ばれた世代。70年代~80年半ばまで小夜子さんのいたファッション、パリコレといった先端とは全く違う場所、吉本隆明といったような本ばかり読んでいた高校・大学時代だったわけで、小夜子さんとの接点は皆無といってもいいでしょう。だけど小夜子さんのアイコンはしっかりビルトインされていて、改めて小夜子さんのことを辿ってみたとき、小夜子さんが背負っていた時代ってものが自分の中にもあってそれが「小夜子」さんというアイコンでふつふつと活性化したんです。
だから私も涙しました。どめどもなく涙が溢れてきました。
そういう映画です。何回でも見たくなる映画です。大スクリーンで見ないと後悔する映画です。

ところで松岡正剛さん編による
「山口小夜子さんを送る会」メッセージカードを読んでおくと、この映画がさらにぐっと来るかもしれません。
以下引用します。

すべてにおいて「着る」ことが私の原点になっています。

山の上の、目の前にお墓がある家に住んでいたから、
小さい頃はよくそこで遊んでいました。

小学生なのにマニキュアを塗っていったりしてたの。
だから、「手をつながなーい」とか言われたこともあるの。

とても服に興味を抱いている子でした。
独創的であることが、小さいながらに私の基準だったのね。

高校を卒業後、洋服をデザインする仕事につきたくて杉野ドレスメーカー女学院に入学したんです。学校内で先輩のモデルを頼まれているうちに、プロにならないかというお話をいただいた。

渋谷の西武デパートに、「カプセル」という若いデザイナーを紹介するスペースがあったの。 
そこで、まだ20代のケンゾーさんやイッセイさんの実験的な作品を見たときは、頭を殴られるような衝撃でした。

初めて海外でショーの舞台にたったとき、
「どこの国の人ですか?」ってよく聞かれたんです。

当時、パリのモデルたちが急に髪を黒く染めて、
「小夜子どうしたら切れ長な目になるの?」って聞かれることにびっくりしました。

私たち日本人がコンプレックスに思っていることが、
西洋人にとっては憧れだったりするんです。

着るという仕事をしてきて、ふと思うことがあってね。
それは、からだ自体も着ているんだなという感覚、心がからだを着ているっていう感じ。
だからこそ、いたわりたいし、大切にしたいと強く思うようになってきています。

空き缶は捨てるものという固定観念を取り払えば、いろいろな形が見えてきます。
空き缶もタワシも着ることができる。地下鉄だって、家だって着られる。
なんだって着ることができるんです。

歩くことを変化させていくと動きになり、そこに手の動きをつけると別な表現が生まれ、さらに言葉が加わると、新たな世界が生まれるの。それがいま、試みている身体と音楽と映像と言葉によるパフォーマンスにつながってきたの。

私たちは、生まれたときから洋と和が混在している文化の中で生活していますが、細胞のなかには必ず「日本的なもの」が存在しているとおもうんです。
いま、新しく「蒙古斑革命」というプロジェクトを始めているんです。

生きていると、自分が濁ってきてしまう時もあるでしょ? 
そう思ったら、街に出て他の人の創った作品を見るの。

自分のからだと心の関係、死とか生とか、そういう精神とからだの関わりを探っているというか、見つけようとしている旅なのかなと思うんです。

「松岡正剛連塾2第一講:数寄になったひと」でのパフォーマンス「影向」。生西康典、掛川康典の映像・演出により、谷崎潤一郎の陰翳礼賛を朗読。2006年。


⇒「山口小夜子 未来を着る人」(東京都現代美術館)における甦った「山口小夜子」さん(一部)