先日残念なことがありました。
入院中の患者さんが急変して
蘇生処置の甲斐もなく亡くなられました。
数時間前まで
いつもと変わりない様子だったのに・・・
イランカラプテ
ウェルスダイナミクスと心屋で
フローにのってHappy Life
W.プラクティショナー
北海道のJoey (ジョーイ) です
こんな時なんですよね。
看護師たちが無力感や絶望感を感じる時って。
この仕事を選択した時から、
避けて通ることはできないとわかっていても
その場面に遭遇することは回避したい。
病状的にその時が近いとわかっていても
1分1秒でも引き延ばしたい。
そうすることによって
我々も受け入れる準備をしていたのかもしれない。
だから、容態が急変すると
我々の心の準備も不十分だったりするのかもしれない。
今回の、この患者さんの時も
この方にとって
今終わろうとしている人生はどうだったのだろうか?
その最期の時をここで迎えることはどうなのだろうか?
確認することはできないけれど、
この方にとっての最期の数週間、
安らぎを提供することはできたであろうか?
自分はそんな関わりができたのだろうか?
そんなことを自分自身に問いながら
心臓マッサージをしていた。
残念ながら、心拍再開することはなかった。
目の前で人が亡くなるのって悲しいんです。
家族ではなくても。
看護師という仕事であっても。
今までたくさんの方の最期を看取っても。
やっぱり悲しいんです。
辛いんです。
だけど、泣いてる暇はなかった。
悲しんでる暇はなかった。
一刻も早く、お身体をきれいに整え
ご家族に寄り添ってもらうために
死後処置をする。
一方で、
他の入院患者さんへの看護は
休みなく行われている。
時間は流れていく。
そうやって、
いつしか感情を押し殺すようになっていく。
「悲しい」という感情だけでなく
同時に、それ以外の感情にも蓋をするようになる。
「辛い」とか「悲しい」というような感情を
なかったことにする。
感じないようにする。
自分なんて、まだまだ と
自分を気持ちを
自分の身体を
蔑ろにし出す。
自分より
目の前の患者さんの方が余程辛いんだと
さらに頑張ろうとする。
最初はほんの些細な感情と思っていたのかもしれません。
そうして蓋をし続けたきた結果、
あなたのダムは最早決壊寸前かもしれません
ダム決壊
すなわち
強制終了
そうなる前に、
そうならないように
あなたのダムの水位を下げに来ませんか?
看護師同士
分かち合えることがたくさんあるはずです。
一人で抱え込む必要はありません
共感しあえる人たちと一緒に
ダムの水位を下げに来ませんか?