心屋 VS キリスト | 大好きがもっともっと好きになるスポーツメンタルコーチ@KenさんのBlog

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大好きなスポーツ(競技)。スポーツをしていなくても大好きなことが、もっともっと好きに続けられる。そんな関わりを目指しています。

そんな大それたた話じゃないんだけど、


うちの親がクリスチャンという話を書いてて


ふと、その違いについて感じたこと。


個人的な意見なので、


適当に流してくださいね。





キリスト教を信仰していると


「神は愛である」


という言葉が示すように


イエス・キリストはその大きな愛をもって


わたしたちを受け入れてくださる





・・・というのが、おおまかな教え


(アバウトすぎるが・・・)





この点では、ぢんさんの


「どうせ愛されてるし~」


という、心屋を代表するフレーズ



『愛』 



大前提なのは共通


しているところだと思う。





しかし、私が考えるところの決定的な違いは



『反省しない』


ところだと思う。




キリスト教でよく耳にする言葉に


「悔い改めよ。そうすれば救われる』


というフレーズがあるが、


悔い改めるということは、


罪を犯していることを前提に


それを認めて、


反省する必要があるということだと思う。



ぢんさんは、


「反省するということは、



そのステージを繰り返すことになるので



ステップアップはできない」


と言っている。



なので、キリスト教の教えのように


反省することで、自分を責めることになり、


いつまでも、その罪の意識を持って、


人間は常に弱い生き物である・・・


というネガティブな感情を持っているから


常に、みえない恐怖に対して


祈り続けていかねばならないのだろう。






そういう観点から、


私にとっては、


心屋仁之助 




イエス・キリスト 以上の



存在になったのである











*これはあくまでも個人の見解です。


 キリスト教を愚弄するつもりは毛頭ありません。


 どうぞ好きにやってください。