早いもので、三月も中旬。今週はもう春のお彼岸、そしてお彼岸が明けるまでの中間に、「春分」があります。本当に早いなー。


先日、お世話になっている氏神様のところへ月初のご挨拶へ伺ったところ、宮司様の奥様から「一枝ですが」と「出雲大社」という名の椿を頂戴しました椿


ご近所から譲られた貴重な枝を分けていただき、本当に恐縮です。



椿の品種は本当に多いけれども、「出雲大社」という名の品種があるとは、これまた素敵。しかも、こちらの氏神様のところの御祭神は、素盞鳴命だからこそ、一層枝を分けられたご近所の方の感性も素晴らしくって、感動しました。


椿それぞれに特徴があって、どれも美しい。


いただいた「出雲大社」という名の椿、この葉の様子が、なんとも艶っぽくって、美しい。とても優美なライン・・・・・・。見とれちゃって、見とれちゃって。


譲り分けられたご近所の方も、宮司様の奥様も、あえて「出雲大社だから、~」とか、「御祭神が素盞鳴命だから」なんて触れないけれども、その敢えて触れない素敵な思いと、触れないけれども通じ合う感覚って、どこか共有できる人達の間で静かに繋がるもの、繋がっていくものがあると思います。


それが間柄というものでしょうかね。そこに私のような者も繋げていただけることが、本当にありがたいものです。



椿を頂戴した翌日は、会食倶楽部 でしたので、会員の皆様にも、持参いたしました「出雲大社」をご覧いただきました。


当日ご提供いただいたお椀にも、椿椿 

紙の折敷は、私がそれぞれご参加者一枚いちまい異なるものを作り、用意いたしました。

 


ベランダでは、昨年植え付けてみた「仏の座」がうまく根付いてくれました。神事の後に、「仏の座」。神仏習合だな。


年中行事を繰り返し繰り返し行っていると、日本の文化の根底にある神仏習合を実感するものがあります。


四月に入ると、お釈迦様のお誕生日、「灌仏会」があり、各寺院で設置される花御堂も、花まつりも様々で、それを巡るのも楽しいものです。






先日、とてもありがたく、貴重な機会に恵まれました。


多くは語らず・・・・・・語れず・・・・・・で、ごめんなさい。


間もなく次の御代にかわるこの時期に、このタイミングに、このような素晴らしい機会に恵まれるとは、ありがたいものです。


神様がいらっしゃる神聖な空間に畏れ入り、お声掛けいただいてから約一ヶ月の間、大変身の引き締まる緊張感の中で過ごしてきたこと、生涯忘れることはないでしょう。


特別な場、特別な機会。ただただ、ありがとうございます。


ご案内いただいた時に見つけた松ぼっくり松ぼっくり、年中行事に携わる身にとっては欠かせないもの。


「いただいても宜しいですか?」とお伺いを立て、本当はもっと沢山欲しかったけれども、畏れ多くって、手を拾い伸ばせたのは二つ。


体験したこと、体感できたこと、目に焼き付けられたこと、お伺いしたこと、どれも大変貴重なことでした。


この松ぼっくりは、唯一手元に残る大切な思い出の物となりました。もともと手元にある、他の松ぼっくりとはわけて保管しなくては! 


特別な時に、盛りたいと思います。


神恩感謝。