新春のお慶びを申し上げます
新たな年を迎えましたね。皆さまいかがお過ごしでしょうか。
今年のお正月休みは、とってもとっても短いのですが、しっかりお節とお雑煮を食べて、箱根マラソンを応援して、体を休めながら過ごしております。
今年も変わらずマイペースで、良いクラス運営に励んでいきたいと思います。通ってきてくださる受講者様にとって、一層豊かな生活になるよう、充実した企画、講義内容をお届けしたいと思います。
本年も何卒宜しくお願い申し上げます。
さてさて一枚目の画像は、先日ホテルオークラに立ち寄った際に、撮影いたしました。金屏風を背景に、大変ご立派な鏡餅
自宅用としては、今年も長年通っておりますお稽古先で作った餅花を●●●●●
何年も何年も、繰り返し繰り返し作っており、特別上手下手があるものではないけれども、「私らしさ」が出るものでもあるようです。また手馴れもあるなかで、複雑に考えることがなくなった分、自然と良い塩梅、大きさに落ち着く餅花になるようになりました。
先生に、「今年で作るのは何度目になりますか?」と、お互いもう何回目のお正月をお教室で迎えるのか、時々分からなくなるほど通い続けていますが、グルッと十二支巡りました
教える仕事をしている立場として、私のポリシーは一生学び続けること。常にインプットに励むことが、学びにいらしてくださる受講者様に対する礼儀だと思っております。
どのようなことも、二、三度学んだだけで留まったり、満足しては、本質までは辿りつかないもの。繰り返し学び続け、修練を積み、深めていくことによって得られるもの、落とし込まれる豊かさは異なります。
自分自身が「師」と仰ぐ先生も同じ志でいらっしゃり、常にインプットに励んでいらっしゃる。だからこそ、伺う者にとっても、常に新たな気づきと学びが豊に授けられます。ありがたいものです。
元旦のお屠蘇には、漢満堂 青木先生が調合してくださる屠蘇散を用いります。これが美味しくって、美味しくって・・・・・・。
必ず年末に沢山取り寄せて、年末のご挨拶として、周囲にお渡ししていますが、最近はお屠蘇を召し上がらない方も多いようですね。
昔は年末、薬局で買い物をした際に、屠蘇散をよくいただいたものですが、きっとそのような風習を知らないお若い方も多いのではないでしょうか。
元旦、トップバッターで氏神様のご本殿でご祈祷をあげていただきました。
毎年必ず一番に二番目もこれまた決まったご家族で、中学生ぐらいのおぼっちゃんがお二人いらっしゃる。男の子が一年の間に大きく成長される様子に驚きます。
「お坊ちゃんたち、一年でこんなに大きくなるだなんて、びっくりです!」とご挨拶をすると、お母様が「そうなんですぅぅぅぅ」と、「ちょっと大変」といったご様子でお答えになっていました。
「また来年、お会いいたしましょう」とかなり気の早い御挨拶をいたしました。でもきっとまた、一年はアッと言う間だと思う。
実家での食事の際は、ワインかスパークリングが多いのですが、なぜか普段は食卓に登場しない日本酒が必ずお節の時には用意されています。
「折角だから、徳利を出しましょう」
「音のいいものにしましょう」
「松のものがいいわね」と。
こちらの九谷焼の徳利は、まさに徳利の語源となった音のするもの。
母方の生家はもともと料亭を営んでいたため、食器類は、お陰様で選ばれたもの、いい物を使える機会、知る機会に恵まれてきたと思います。
ドームで毎年開催されるテーブルウェアフェアで、昨年は黒柳徹子さんが惜しみなくコレクションを見せてくださったのですが(画像はその時のもの)、所謂、このレベルの実用品というよりかは、鑑賞用の工芸品、美術品に値するお椀など、うちでもまず食卓に上がってきません。
ある程度の湿度が期待できる場所に保管され、「お目見え」される時は、「カーテンを閉めて! 直射日光を当てないで!」と、母に言われます
使い方も、扱い方も、携わってこそ身につく習慣。
うっかり実家の朱塗りの器を、クラス時に重宝なため、私が持ったままにしてしまい、食卓の彩に欠けてしまった今年のお正月。
すみません
でも、とっても重宝なので、来年のお正月まで預かっておくことにしちゃいます。こちらは高価ではないけれども、大きさも高台の高さもとてもよく、使いやすい。
実家から持ち帰った、お節の中でも特に好きなものを二日目、三日目もいただきます。
黒豆を食べて、今年もマメに働きたいと思います