ちょっと暗い話題です。

今日、父と電話で話しました。



最愛の母を亡くして100日目でした。



百箇日だからと、実家に行って

お花の手入れやお線香、お供えをして

会いに行けない私に写真を送ってくれました。

多分、週の半分は通ってると思われる父



優しい優しい大好きな父の

優しい声。心を感じます。



両親は私が中学に上がる頃に離婚していて

ここ10年くらいは

子供中心に食事会をしていました。



両親2人では決して会わない

他人だけど友人の様な関係でした。



私は、子供から離れられないので

5年近くほぼ帰省できずにいて



母には沢山沢山

寂しい思いをさせてしまいました。

この事実は、この先も覆せないまま



お母さん、もっと一緒にいたかったよ

あんなに一途に愛してくれたのに

間違った結婚だった

もっと慎重になるべきだった


結局、子供たちも私も不幸せになって

それも含めて親不孝してごめんね



後悔しています。

沢山ごめんねって想っています。



母の病気が発覚してからは

父が必ず通院に連れてきてくれたので

母はたいそう心強かったと思います。



父のおかげで、私は病院へ直行できました。



朝は、自宅から病院まで

片道3〜4時間かかるのに

更に実家まで送迎するはずだったので



毎週か数日おきに

留守番できない子供に留守を任せ

自分も寝不足の中で無理に無理を重ねて

最悪、自分もどうなっていたか分かりません。



でも、信頼して母を託せる父の協力があり

こんなにありがたいことはありません。



母は必死に生きました。



検査や治療が辛いとか怖いとか

そんな事よりも生きるために

なんでもする気迫で闘病しました。



すべては生きるためにです。

だから、診察時間に間に合わないなんて事態は

母がどうしても避けたいことでした。



父の助力で確実な通院が保証されたのは

私も、母も、心理的にとても助かりました。



それに、シビアな病状でも

穏やかでおとぼけな父がいることで

柔らかい空気になります。

父のおかげで母の笑顔に会えました。



必死すぎて、後悔ばかりの悲しい記憶なので

あまり掘り起こすつもりはありませんが

子供たちの事もなんとかやりくりして

最期まで、母のサポートができました。



父は、労を惜しまず

考え過ぎなくらい思いやりに溢れていて

困った人を放っておけない性分です。



気概があって、厳しくも愛の塊のような父



離婚して30年、赤の他人なのにね

こんなに尽くしてくれて

お母さんは幸せだと思ってるよ。



離婚を決断した責任と

罪悪感なんて背負わなくていいのに

父のことだから

消えることはないんだろうな。



お父さん、

いつも感謝しています。



父は帰省できない私たち姉妹の分も

母を失った家に通い

気持ちを送ってくれます。



母を心から大切に思う人間が

自分以外にも存在すること



少しでも母は幸せだったと思えることに

気持ちが慰められます。



でも、母のことは

受け止められないだろうと思える

子供たちには教えません。



自分だけが大事で

他者を軽視する夫の親にも教えません。



ひとりで毎日母のことを想っています。



いつも我慢しているわけではないけど

今日は、ひとりになると涙が止まりません。



多分、1ヶ月分?の涙が出たから

また1ヶ月は、がんばれる気がします。

そういう事にします。



母を看取ってから

諸々の手続きに奔走した時期もそろそろ終わり

親孝行の一環として

自分を大切にしようと動き始めました。



生きている限り、自分を生かさないといけない



今の環境では難しい課題ですが

自分の心を大切に、よく休みながら

思いついたことは全てやってみますニコニコ



今まで触れられなかった気持ちを書けました。

読んで下さりありがとうございます。