こんんばんは、うっきーです。
大内殿様シリーズも
いよいよクライマックスです!
大内義長(1532~1557)
大内義隆のお姉さんが
豊後の大友氏に嫁いで生んだ男子で
大内家の養子になる筈でした。
大内義隆に実の息子が誕生し
一旦養子キャンセルになったのですが
陶晴賢が謀反を起こした際に
大内義長を新当主として迎えました。
義長さまは大内家32代当主となり
やる気満々だったのですが、
晴賢が毛利氏に討たれた後
義長さまは長府まで追い詰められて
功山寺で自刃することになりました。
享年26。辞世の句は
「誘ふとて 何か恨みん
時きては 嵐のほかに 花もこそ散れ」
功山寺
山口県下関市長府にあるお寺で
明治維新の志士・高杉晋作が
奇兵隊を決起したことでも有名な
パワースポット★
(画像引用元)
大内家はここで滅亡し
山口は毛利家にゆだねられます。
でも私は
ここで大内家が終わったとは思っていません。
戦国武将として
大内家が積み上げてきた思いは
倒幕へのパワーとして山口に残り
明治維新にて
長州魂として復活したのではないかと
私は思っています。
大内殿様ラブ❤
やまぐちラブ❤
【大内殿様シリーズ】