第十九回 黒米 | 現代に息づく「縄文」の食文化

第十九回 黒米

 白米と黒米の苗を植えて収穫してみると、必ず、白米のはずなのに赤い玄米が現れてくる。白米の開花前にあらかじめ葯(やく)を除いて、袋かけして除雄してある頴(えい)に赤花の花粉をふりかけ、再び袋をかけて1か月後に収穫した玄米は、ことごとく赤い。メンデル式とは異なるから、これを非メンデル式遺伝というが、赤色が優性であることははっきりしている。これから考えて,私たちは、古代の米はすべて赤米ではなかったかと考えている。


 赤米が文献に出るのは、聖武天皇の時代で、天平6年(734)の尾張国の収税帳が初出といわれる。インド型赤米の渡来は、奈良朝から平安末期といわれるが、ここで述べる黒米は、新しいようだ。私は、昭和59年(1984)に中国雲南省で、国境の町景洪(ジンホン)で赤米、思茅(スーマオ)で紫糯米(しじゅまい=もちごめ)を街道市で見かけた。この紫糯米を日本では、黒米といっているように思う。事実、ここの紫糯米は、ウルチ米とモチ米との中間的なでんぷん質である。


 昭和43年3月に発行された『在来稲の特性表』(農林水産技術会議発行)を見ると、赤米は在来稲1302点のうち赤米は68品種にとどまり、黒米との記述はない。これとは別に、長野県の唐木田清雄から、平成4年(1992)にいただいた資料を見ると、黒米については、千葉県、東京都府中(中国原産)が記されている。あまり古くはないが、最近、薬用としても使用されるようになった。


 私は、同氏から中国産の黒米を譲り受け、平成3年から今日まで、自分で栽培したあと、最近では新居浜商工会議所の有志、各界の知友の応援を受けて、黒米の商品の実用化に取り組み、その販売活動に力を注いでいる。


 赤米、香り米、黒米は、それぞれ古代米のグループなので、関係している学会の名称も、現在、日本古代稲研究会として活動している。対馬の赤米伝承に詳しい城田吉六さんの本をあけてみると、雲南省の紫黒米は、同氏の娘さんが上海大学に留学中に、雲南省に旅行して播籾を入手して送ってくれたというから、これも戦後のことのようだ。


 黒米に注目したのは、その色の黒さからだ。黒米を、ごく少量白米に加えて炊いてみると、黒米の周辺の飯粒は、赤く変色している。赤米は炊いてみると、色が薄くなり、酒に加工してみると淡色になりすぎて困る。何とかならないかと、知らない人からも問い合わせがくるようになった。育種の技術を生かして、元の色に返るように助言しつづけたが、ある時、ふと黒米を使ってみることを思いついた。


 黒米の添加量を代えて日本酒を作ってもらうと、色が薄くなると濃紫黒→紫→淡赤→黄色に変わった。これにある天然生物色素を少々加えたらよいことに思いついた。目的どおりの色が出る。ここが酒作りの杜氏の腕の振るいどころだ。どこか研究費でもはずんでくれるところがあれば、その秘法をあかしてもよい。


 長野農業試験場で開発した紫黒米も、収量は高く400kg/aあたりとなる。しかし、一般のモチ米品種には及ばない。したがって、 それなりの高価格でないと、生産の増加は望めない。
 

 赤米、黒米が注目されるのは、赤米の糖層にある色素はタンニン系、黒米の糖層はアントシアン系である。完全に搗精(おうせい)すると白米となる。これらの色素米は、玄米のままで混米、粉砕されて利用される。色素は、少々残す程度にして搗精、あるいはパーポイルド(蒸煮)ライスにして、色素を胚乳部分に移行させた後に搗精して利用したり、水アメを製造したり、色素抽出して色つきの飯や餅、めん、酒、製菓の原料として使うことができる。色素米には、ポリフェノール物質が多く、各種のビタミン(B類、E、Pなど)、鉄、Caなど、有用無機成分に富み、健康食用の素材として、たいへん期待されている。


 新形質米の生産、流通の取り組み事例集(農林水産技術情報協会、2001)