先日、15年ものブランクを経て、ようやく最近、絵が再び描けるようになったことをお伝えしました。
この、長い長いスランプを脱することになった経緯を綴ろうと思います。

人それぞれで、かたちは違うと思いますが、ひとつの例として見ていただけたら、と思います。

先日のブログでも触れましたが、わたしは22~3才くらいまで、漫画家を目指していました。
その後、結婚や出産を経て、次第にその世界からは遠のいていきました。
その頃、自分の評価に直結すると感じており、絵や漫画を描くことが苦痛になっていました。
しかし、わたしには他に人に誉められるようなスキルなどありません。

絵や漫画と関係者のない職場で、それなりにやりがいも感じながら、仕事に家事に育児に、とめまぐるしく日々が過ぎていきました。
しかし、完全に絵を描くことを手放すこともできず、たまにちょろちょろっと簡単な絵を描いたりしながら、もんもんとした日々を過ごしておりました。

わたしは重度重複障がい者の通所施設で働いていました。わたしが居たところは、アート活動にそこまで積極的に取り組んではいなかったのですが、ここで障がいを持つ方のアートを知りました。
そして、あまりに個性的な作品に衝撃を受け、その世界にはまっていきました。展覧会や講演会、アート活動で有名な施設の見学など、それはもう県内外問わず、あちこちに足を運びました。

既存の価値観や常識にとらわれることのない、奇抜な作品たち。わたしにはとても真似できません。そんな、憧れのようなものがあったのかもしれません。
しかし、わたしがなぜそこまで障がいを持つ方のアートに惹かれるのか…。
単に「作品が好き」というだけではなく、今思えば、そこにわたし自身が作品制作を続けていく為の、何らかの答えを探していたのかもしれません。

彼ら彼女らの多くは、制作物ではなく制作過程に目的があります。
例えば、筆や布の感触が好きとか、とにかく○を無限に描いていたい、とか。
そして、完成品にはあまり興味がありません。(ほぼ、職員や周りが「これで完成」と決めます。誰かが止めるまで、延々と作業を続ける人も多いです)
つまり、完成することを目的に制作している訳ではないのです。

だから、作品制作において、失敗だとか不正解などという概念が存在しないのです。
これです!ここ、重要です!笑

だから、皆さんものすごくフットワークが軽くて、筆を手にしたらなんの躊躇もなくすぐに描き始めてしまいます。

目的ありきで制作を行うわたし達とは真逆です。
羨ましすぎる…。わたしもそうやって自由に描けたら、どんなに楽しいだろう…。
あまり深く考えずに、思うまま筆を走らせてみたり、結果にこだわらないようにするため、あえて利き手ではない左手で絵を描いてみたり、と試行錯誤してみました。
でも、結局そんな取って付けたような、「わたしらしくない」描き方はどれもしっくりきませんでした。

わたしの能力では、どうしても彼らのようには描けない…。

もう、わたしは自分の作品制作はやめて、障がいを持つアーティストの人達の支援をしていこうかな、と本気で考えました。

そんな時、鹿児島県にある、しょうぶ学園の施設長が書いた「ありのままがあるところ」という本に出会いました。
しょうぶ学園は、ものづくりやアート活動の先進的な取り組みを実践している障がい福祉施設で、障がい福祉の分野では、知らない人はいないくらい、有名なところです。

いつか行ってみたいな、と思いながら、とにかく本を読みはじめました。


「ありのままでいい」と最近よく耳にするし、福祉の世界でも、その人の苦手を克服するのではなく、できることを伸ばすのだ、という流れになってきています。それは知っています。でも、「ありのままでいい」という言葉を、わたしは本当の意味で理解できてはいなかったのです。

だって、わたしがわたし自身に、「もっとこうしなきゃ」「ちゃんとできるようにならなきゃ」と常に課題を突きつけていたのだから。
「しない」「できない」自分を、わたし自身が受け入れられていなかったのです。

この本を読んで、「ありのままでいい」という本当の意味に気付いた気がします。(もちろん、他にも色々な体験などが複合的に作用し合い、答えが導き出される訳ですが。)

本文のなかに、「僕は僕でしかないのに何を変われと言うんだろう」という言葉が出てきます。
本当に、その通りだな、と。
他の誰かを真似したり、比べて落ち込んだりする必要は全くなかったのです。

技術が劣っていても、センスがなくても不器用でも、そのままのわたしを世界に差し出せばいいのです。
わたしが、わたしのまま生み出したものだからこそ、唯一無二の価値が生まれるんじゃないでしょうか。それでなら、わたしは絶対に誰にも負けることはあり得ません。

「わたし」を表現するために、もっと技術を磨かなきゃ、とか知識を得なきゃ、と思うなら、必要なものをその都度得ていけばいいだけであって、いちいち技術が低い、知識が足りないと自己批判するのはバカげています。

計算をつくして作品をつくりだす人、自分の感性を頼りに作品を生み出す人、行為として制作を楽しむ人。それぞれ、自分に合ったやり方で活動していけばいいのです。
わたしに、寸分の狂いのない緻密なデッサンや、大胆な色使いのアート作品が生み出せないように、わたしが描くわたしの絵は、わたし以外の誰にも描けません。

ようやく、そういうことに気付きました。
思えば15年前、漫画家を目指していた時、わたしは「こういうテイストの作品」とか「万人が好きそうな画風」とか、そういうことに軸を置いて作品をつくっていた気がします。
それでは、わたしより技術が高く、センスがある人が現れればわたしは負けてしまいます。
当たり前ですよね…(;^ω^)

わたしは、他の誰の真似でもない、「そのままのわたし」で絵を描いてみることにしました。

つづく…