こんにちは(=⌒▽⌒=)

降りませんね。

夕立すら降りそうな気配のない甲賀市土山町です。

晴れです。

もう何回書いたのかわからないくらいですが、暑いですね。


今回は道のお話です。

宿場町であった土山には、旧東海道が通っておりました。

しかし人目を忍んで移動する旅人や、通行手形を持たない無宿人などは天下の公道東海道を通れなかったわけです。

そんな旅人が通った道が間道(かんどう)なんですね。


滋賀県のはしっこにある土山には三重県へ抜ける間道がいくつかありました。

その一つが安楽峠を越える道、安楽越(あんらくごえ)です。


安楽越1

東海道の鈴鹿峠を越えるより安心で楽に通れることから名前がついたといわれています。


先日ご紹介しました「かぶと虫の里」のある山女原(あけびはら)地区から三重県亀山市へ通る道なんですよ。

あんまり交通量もありませんし、地元住民が利用する程度です。

並行して東海自然歩道が通ってますけど、こちらの方が昔からある旧道みたいですね。


この道の歴史は古く、豊臣秀吉が山崎の合戦で明智光秀を破った後、対立した伊勢の滝川一益を攻める際に通ったといわれています。

その時の兵士の数は7千5百とか1万とかいわれています。


今はそんなことが全く感じられないくらいの静かな風景が広がっています。


安楽越2

遠くに見えるのが新名神の陸橋です。


もうちょっと新名神に近い場所から撮影です。


安楽越3

古い道から新しい道の撮影です。

移動手段は大きく変ってますが、道は今日も人や物や情報や夢を運んでいますね。


実は最近ブログのネタに困っているのを知ったうちの事務局長が、昨日休日にも関わらずこのブログのためだけに取材に行ってくれました。

またこれからも最近デジカメを購入された局長の写真がのると思いますのでよろしくお願いしますね(≡^∇^≡)