こんにちは(‐^▽^‐)
昨日とは全然違っていいお天気です。
といっても青空が見えないうす曇っていうところですね。
今回は俳句に登場する土山についてのご紹介です。
ちょっと国語の時間っぽいですが、流し読みしていただければ幸いです。
まず一つ目です。

「土山や唄にもうたふはつしぐれ」
高桑闌更(たかくわ らんこう)の句です。
闌更は1726年加賀国金沢の商家に生まれ、1798年まで江戸時代の中期まで活躍した俳人です。
与謝蕪村なんかと親交があったみたいです。
後年京都東山双林寺というお寺に芭蕉堂を作った人として俳句好きの方に有名みたいですね。
次です。

「鮎の背に朝日さすなり田村川」
井上士朗(いのうえ しろう)の句です。
士朗は1742年~1812年、江戸中後期に活躍した俳人でありながら名古屋新町の町医井上家の養子として3代目を継ぎ、こちらの方も名医として評判だったようです。
俳諧は加藤暁台、国学を本居宣長、絵画を勝野范古らから学んだということですのですごい博学だったんですね。
俳諧では「尾張名古屋は士朗でもつ」といわれ、寛政三大家の一人だったそうです。
田村川というのは野洲川に合流する川で、30年ほど前までは鮎の遡上がすごかったみたいですね。
最近ではもう見られない風景になってますけど。

この川面をキラキラと背を光らせた鮎が登っていたんでしょうね。
この二人の他にも松尾芭蕉とか有名な俳人も通ってますし、闌更に師事した常明寺の僧虚白さんや、虚白さんに師事した三好赤甫さんなんかの土山で活躍した俳人なんかもおられますが、それはまた別の機会にでもご紹介します。
土山は東海道の宿場町として俳句なんかの文化的にも発展してたんですね。
なお、上の2つの句碑は旧東海道沿いに建ってますので、ちょっと足を止めて見ていただければ嬉しいですね(‐^▽^‐)
6月11日コメントにてご指摘いただきましたように、名前の漢字が間違えておりましたので訂正させていただきました。
申し訳ございませんm(_ _ )m