今日は
業務終了後
親鸞聖人の遺徳を偲んで
また
お参り
手を合わせて
当たり前に思っている 今の生活
有り難い命
の
尊さ を振り返る

ひとときを

当たり前に思っていること
和服で👘 運転すると捕まる



何が起こるかわからん



世の中
本当に大切なことは
なんかわからない人だらけ



で ないか?

本当のことは何か
それは 昔から続いていること
手を合わせて 心を
落ち着かせて
くれる
こと
そんな 場が
このお参りでないか
と
遺徳を偲んでの
場で
思ったところです
どこかでの 記述
親鸞聖人は
弘長2年(1262年)11月28日
行年90(満89歳)をもって入滅された
1/15のご満座は 親鸞聖人の遺徳をしのんで
今ある自分を見つめなおす ありがたい命を生きていることに気づくことといいます
親鸞聖人が一生を賭して、何を伝えたかったか?
は
よく分からないけれど、
なんのせ ?
「あなたは、あなたで在ればいい」
「本当にありがとう」という機会を持つ
手は「合わせる」ものでなく、
手は「合わさる」ものである。
教え
なんてことを
すこしでも わかる
ちょびっとでも 実施できる
ようになれば 教えに かなうことで
ないかな・・・・・
と