農商工連携の意義と研修の狙い
講師:メディアメーカー 常田あきえ 氏
●「他の地域が真似出来ない、田子独自のモノ、サービス」を作る事
どこでも、誰もが簡単に作れ、手に入るものでは商売として続かない
という訳で
最初に「農商工連携」というここ10年耳に馴染んだ言葉の由来は?
私たちが食べるための農水産物
●最終的に消費者がそれを何らかのカタチで受け取る
●その間には、それを産地からしかるべき場所へ運ぶ
●「流通」運ばれて来たものを加工する
●「加工業」そしてレストランなどで食べる
●「外食産業」がある
2005年の農水省のデータだと
国内で農家さんが作ったものと、海外から輸入された加工品を合わせると
●15.7兆円あるそうです。
ちょっと多いのか少ないのか分かりませんが。
でも、最終消費者が実際に支払っている金額は
●73.5兆円だそうですから、
●約5倍近くの利益を生み出している事になります。
生鮮品外食産業加工業元々の生産高は 15.8兆円
このうち、スーパー等で生鮮品として野菜や魚がそのまま販売された額は13.5兆円
元が15.8兆円の中から、生鮮品として販売された分を差し引いた残りが加工と外食で60兆円に化ける訳です
付加価値利益の81%は加工、外食産業で担っている
このデータから言える事は、どう見積もっても
食材供給者である、農漁家は、一番大切な基本供給を 担っているのに、十分なメリットを受けていない現実。
というコトではないでしょうか
さて、これには様々な根深い理由がある!
その一つは
規格外という概念です。要は曲がったきゅうりや割れた人参、大きすぎるトマト、などです
これって、消費者である私たちが、「私、曲がった事嫌いだから、このきゅうりもイヤ!」とか
「トマト大きすぎると、かわいくないし~」と拒否したからではなくて、流通時、梱包の際に箱入れの個数が変わると面倒工場のラインに流す際に均一の方が良い
外食チェーンでは、メニュー写真と同じじゃないとクレームがつくかもしれないからなど、野菜の質とは関係のない所の都合で語られて来た部分です
最近テレビで、面白い場面を見ました
中国人観光客が、秋葉原や、ディズニーランド、銀座の他にアメ横の魚屋を訪れ写真を撮っています。「こんな写真を撮って、面白いものあるんですか?」
「魚が1つ1つザルに分けて売られているから」
『?』
「中国では大量の魚の山で量り売りされているから、こんな売り方はありません。だって魚の大きさはちがうでしょ?」
「ここにあるのは全部同じ大きさの魚ばかりですね」
違う大きさの魚はどうなっているのでしょう?
日本で当たり前の事も、外国人の目には不思議に映るんですね。「規格外」という価値観に異議を唱えて、しくみを変えたいですが、それはすぐには難しい。
ならば、という訳で
産直で規格外商品を安く販売し、人気が出ましたね。安く売る事自体が「規格外」という価値観に乗っ取っている事になるのかも知れませんが
そして、規格外を原形をとどめない「ジュースやジャムにしてしまえばいいんだ!」と、自分たちで、加工品を作ろうという流れも出来ました。
規格外の野菜や魚を 廃棄せず 収益にするために、 作り手(農漁家)が 直接加工をする必要性
もう一つ、これは地方の傾向として、小さな食品加工会社の割合が地方に偏っているそうで、農商工連携のはこうした地方の生産者とともに中小零細企業の活性にも繋がるという考え方の元にも成り立っています
地方を活性化させれば、日本が活性化するという意味です。
もう一つ「私、作る人」
規格外という概念とも通じるのですが
農業、漁業、林業も同じではないでしょうか、こうした直接の供給者の収益性が極端に低い理由として、こうした人たちが「私、作る人」にとどまっている事が挙げられます。
流通にも、「作っている人」を取りまとめる関係者にももちろん責任があるんです。
同じ農作物なら、有機栽培でも、慣行栽培でも同じ扱いな訳です。
ちなみに高原野菜のトマトを、やはり農協で他の地域の普通のトマトと混ぜられてしまうという事で、独自に箱を作る試みと、「高原トマトジュース」を作る試みがなされました。
いかに工夫して作ったか こだわった点消費者が 何を求めているか?流通業者美味しい、珍らしい だけではなくその加工品を誰が?どうやって生産したか知りたい物語・トレサビリティその「こだわり」に見合う対価を付けて販売活動
作った人は流通業者にモノを渡し、それは消費者に届きます。作った人は、これをいかに工夫して作ったか、こだわった点を伝え、流通業者はその情報を元に価格を決め、その価値を消費者に伝えて見合った価格で買ってもらう。消費者も、「良いものを買う事が出来た」と喜んでくれます。
そして消費者は、自分たちが何を価値と感じるかを流通業者に伝える訳です。
「美味しい、珍しいだけではなく、誰が、どんな風に、どんな思いで作ったのか?」
それを流通を通して、
作る人に「消費者が今欲しいものは、こういうものだよ、と伝える。
そうすれば、皆が成長する訳です。
第六次産業化
これらを集約的に一元化してしまう流れが出ています。
「作る人」が自ら加工し自ら販売第一次産業×第二次産業×第三次産業=第六次産業
産地が工場を持ち、直接販売するのもこれに当たります。
「作ったモノを売る」から 「売れるモノを作る」 「作ってモノを売れるカタチに」へ
重要なことですし、これから絶対に必要なカタチです。
「売れるもの」「売れるカタチに」するには
どんなカタチのもの? どんな形状のもの? 価格帯はいくらくらいのもの? どんな農薬を使っているの?どんな工夫をして栽培しているの?情報それを反映させる術
情報が必要で、それをどういう風に取り込めば、本当に消費者が欲しがっているカタチになるのか?三角にすれば良いのか?四角にすれば良いのか?情報が重要ですが、情報だけでは判断出来ない事もあります。
田子だけのもの 他の地域が 真似出来ないこと、得た情報を、正しい判断と目利きで、反映させるセンス
同じ原材料、同じ素材においても、絶対に他が真似出来ないモノに仕立てること、これが、絶対的に必要な訳です。それが、デザインという概念です
私が実際の体験で感じた側面から話します。
年に十数件ある、新規の依頼の半分くらいが「作ったけど、売れません。売り場作りをして欲しい」です。
その99%が売り場以前の作った、仕入れた商品自体に問題があると言えます。
皆さん一様に「いいものを作っているんです」確かに原材料は素材は素晴らしいんです。でも、一様にしてどこにでもあるのと同じようなものを、他でも売れているから「よく考えずに」作っちゃうんです。
それを使う人、それを食べる人の気持ちや立場を全く考えていない、ものづくり。
「どういう所で販売するの?」
もちろんちょっと割高です。でも、本人たちは「健康にいいという付加価値が付くから高くても売れる」と言います。
しかし、すき焼きや煮しめのこんにゃくを買う時に何が「選ぶカギ」になるでしょうか?
すき焼きで食べたいのは「肉」と甘辛の味わいを溶いた生卵に付けて食べる「美食」を楽しむのに、「健康」志向で倍の料金を果たして払ってまでこれを選ぶか?
というコトになります。
そこで、食品における「健康」をイメージする内容や習慣化、頻度、そういったイメージと人の取る行動の側面から情報を収集。どのくらい食べるとどうなるのか?も重要です。
機能的にいいもの、素材的にもいいもの、そうしたものであればあるほど、「デザイン」は重要性を増します。
現代は、モノが溢れています。あればいい、というものではなく、それがある事によって機能にもメリットを感じ、しかも持ち手がしっくりくるとか、そういう感性にアピールする部分は重要。
もう一つ、キーワードとして「社会との繋がりを考える事」
小さな事を まずやってみる。
「まず、何かチャレンジして」みて欲しいんです。