白老の名誉町民第1号に選ばれた方が、”コタンのシュバイツァー”と呼ばれた、高橋房次氏でした。
先日、高橋房次氏の物語が、町民によるお芝居で行われ、その模様がuhbのスーパーニュースでも紹介されたところです。
高橋房次は、栃木県下都賀郡間々田村に生まれ、東京慈恵医学専門学校を卒業。日露戦争に軍医として従軍、警視庁検疫委員として勤務し、青森県町立田名部病院長に迎えられた。
後に、北海道のアイヌが医療に恵まれず悲惨な生活をしているという話を聞き、日高国新冠村の村医となりアイヌの人々の医療に献身したが、白老村に新設された北海道土人病院の院長に迎えられた。
大正11年4月のことであった。高橋房次40歳。
寒い夜中の往診依頼も断ることなく、また貧しい患者に医療費を催促することも決してなかったという。
生涯、徒歩と自転車だけで往診を行い、一日たりとも聴診器を離したことがなかった”コタンのシュバイツァー”はすべての町民に惜しまれながら79歳で生涯を閉じた。
それを証明するかのように、白老町は町葬を執行したが、葬列は延々400m、1000人を超える盛大なものだったと、白老町史に記載されている。
これから寒くなり、風邪などで病院のお世話になる機会が多くなると思いますが、このまちには偉大はお医者さんがいたことを実感したここ数日でした。