青春時代の海外自転車一人旅旅立ちの日 | ウオーキングの町 坂町

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こんにちは 「ようよう坂町」

 

 今日は13日といえば何の日でしょうか。喫茶店の日でもあります。

そして51年前(昭和48年)の今日は、私の人生にとって大きなスタートの年でした。

今の私や家族があるのは、正にそのスタートのおかげなのです。

「かわいい子には旅を?」と、青春真っ只中の25才の時、何んと会社を半年休職し、

学生時代からの夢であった海外自転車旅行(オーストラリア・ニュージーランド)に

一人で旅立ったその日なのです。今はなき広島港からグリーンフェリーで大阪へ。

今は円安になったと...いっても、米ドルが153円、豪ドルが102円ぐらいですが、

その年の1月変動相場制になりましたが、アメリカドルが265円、豪ドルが360円の

時代でしたから、超円安の時代で日本にとってはまだ肩身の狭い海外旅行でしたし、

給料が5万円の時、70万の自己資金と50万円の借入金と計120万円をかけた

青春時代の一大行事でした。

持ち物は輪行袋に折りたたんだ自転車と唐草模様の大風呂敷に包んだ荷物でした。

神戸港を出発したのは4月15日。不安を胸にしての船出です。

神戸から船に乗り、横浜、グアム、ラバウ経由で約2週間の船旅の後、

オーストラリアのブリスベーンで一人降り、自転車の一人旅が始まりました。

それまで一人で国内(大学時代の自転車旅行は団体)でも長期に家を離れたがなく、

不安がいっぱいのスタートでした。

神戸港で乗船を心細く一人待つ私です。乗船した「キャセイ号」です。

初めての海外船旅の船は1万5千トンであまり大きくはありませんでしたが、

モノクラスで約200人の乗客で、割と家族的に雰囲気のクルーズでした。

この程度の規模の船だったからよかったのか同乗の日本人やオーストラリア人と

2週間の間、親しくなり、オーストラリアで再会することとなります。

厳しい就活、リストラなどの人員削減などが社会問題になっている現

では、到底考えられない会社を6ヶ月も休職し、オーストラリアを3ヶ

月3千㎞、ニュージーランドを3ヶ月5千㎞の自転車1人旅でした。

オーストラリアの新聞に2回載りました。

ニュージーランドの新聞には3回載りました。6カ月もたつとひげボウボウ(左)。

でも日本に帰る時はさすがそのままではいかず、美容院で髪を切ってもらい、

さっぱりしました。(右)

6ヶ月余りの海外自転車一人旅は今となっては考えられないようなことですが、

若気の至りでしょうか。でもそれが縁となり、今の妻と結婚ができたし、4人の

子どもや9人の孫に恵まれた家族の今日があるのは、正にこの旅立ちがあった

からこそで、感謝ですね。そして友人との絆、ふるさとのよさを再発見したことに

より、その後その会社を辞め、地元での開業、商工会とのご縁ができ、ついには

商工会で仕事をさせていただくことになりました。

 若い時にオーストラリア旅行をし、そのまま住みつく日本人の方も多い中、

私にもその可能性はありましたが、選択したのはより地元密着の生活でした。

そのどちらが幸せなのかはわかりませんが、51年前の今日スタートした旅は、

結果的には私の人生を大きく左右したようですし、今が幸せなのでいい経験、

そしていい決断だったのかもしれません。