こんにちは 「ようよう坂町」
坂町は都市近郊でありながら、現在でも漁業の盛んな町でもあります。
宝海寺では毎年2月に「追弔法要」が営われます。この1年間に亡くなら
れた方を偲んでの法要ですが、その方々の名前の前に「魚族追弔」とい
うことばがあります。これって何なのでしょうか。
もともとこの追弔法要は「イワシの法事」といわれていました。明治から戦
前にかけて、イワシを求めて韓国まで行き、漁をしていました。7月から11
月までの漁で、その後は横浜に帰り、また春先渡航するまで、その準備を
する状態でした。その関係でイワシを追弔する「イワシの法事」は2月に行
われていました。今ではイワシ網漁は行われていませんが、カキ業者や
漁師の方はいますので、魚全般の追弔なのでしょうか。
お寺の前に広がる海では昔よくイワシがわき、イワシ網漁を行っていました。
この写真は「坂町海外活躍史」にのっており、昭和5年に朝鮮でのイワシ
網船の進水式の風景です。
昭和5年といえば、宝海寺が横浜説教場として現在の場所に現在の規模
で建設された年です。これほどまでの規模の説教場ができたのも、朝鮮網
で潤った漁業者のおかげでしょう。
「追弔法要」は最後の日は午前10時からの朝席で焼香があり、終わった
後はお斎(とき)があります。
お斎の料理は、仏教婦人会の皆さんの心のこもった手作り料理です。
今から約60年前の横浜海岸です。道路が広くなり、車が通れるようにな
っています。それまではこの海岸は砂浜であったとのことです。イワシ網漁
でとれたイワシは、砂浜に干されていました。
最近では道路も広くなっています。時代が移り変わり、イワシ網漁は途絶
えてしまいましたが、「イワシの法事」はまだ「魚族追弔」として続いており、
横浜地区の人々の歴史を大切にしたり、海に面した地域から「魚」を大切
にする心が保たれているようです、そんな心意気を感じる「魚族追弔」法要
です。