こんばんは 「ようよう坂町」
今各地で秋祭りの季節ですが、わが坂町でもこの
土・日と坂八幡神社の鎮座750年の秋祭りがあり
ました。日曜日は前日、前々日と降り続いた雨も上
がり、少し暑いようでしたが、好天に恵まれ、波穏
やかな海が前面に広がっています。中央に設置さ
れているのは、台風などからの高波を防ぐための
越波堤工事のためのボーリング調査です。
町内7地区からそれぞれ違った寄進ものが奉納さ
れます。わが横浜地区からは、漁業や海運の町と
して栄えた歴史の上に建造された「曳船」が奉納
されます。1749年頃が起源ということですから、
260年余りのの歴史です。20年前には小学生を
対象に「小船」も建造され、大・小「曳船」は役員も
含め、約200名近い方々の横浜地区の「力」で
伝統の「曳船」が奉納されます。朝6時30分から
飾り付けなどの準備を行い、8時過ぎには完了。
飾付けが終わったころから、横浜戸主会の役員さん
寄付集めについては事前にせず、当日受付です。
曳船の奉納や打上げにかかる経費は、若干の文化
財保存の町補助金以外は全て寄付で賄います。寄
付者名は貼りだします。
今日はこの後、11時40分に大船、小船の船頭、担
ぎ手が集合し、11時55分から出船式を行い、12時
15分に坂八幡神社へ向けて出港して行きます。
出船を前にして、横浜小学校から小船が到着です。
5~6年生男女全員66名と校長、教頭先生を始め、
先生方、保護者の方20名が子供たちのお世話をし
港で、横浜戸主会理事長さんのあいさつで始まり
出船式の風景です。
次いで道中の安全航海を祈っての乾杯です。乾杯
の音頭は副理事長さんです。
船音頭を歌い始めると、まず小船の出船です。
小船は今から20年余り前、曳船を担ぐ若者が減
り始めたころ、子供たちにも伝統行事である曳船
に関心を持ってもらうためと、子供たちが若者に
なった時に担いでもらおうと、戸主会が2分の1の
小船をつくり寄付したものです。
今では小学校の運動会でも曳船は、恒例のプログラ
ムとなっていますし、今担いでいる若者たちのほとん
どは、小船の経験者です。担ぎ手は両肩で26名。
5班に分けて交代で担ぎます。
勢50人余り、それに小船頭船頭補佐、大船頭が20
人余りで水先案内をします。
はかなり厳しいようです。
小船と大船が一堂にというのは、この出船のときだ
けで、まさに勇壮で迫力のある瞬間です。
まず、小船がもみ始めます。船が海を行く姿を表現し
ますので、大波の上に乗った時は、手を伸ばし、頭
上にあげ、波に押される時は、船尾をあげ前に前に
素早く進みます。波に乗る時は船首をあげ、ゆっく
りと進みます。
(けがをする危険がある)するので厳禁ですが、つい方
が痛くなり、肩が外れます。これをいかに持ちこたえる
かです。波に乗る時は、船首をあげてゆっくりと前へ
進みます。
波から降りる時は、船尾をあげて素早く前に進みます。
波が鎮まったところでいよいよ坂横浜港を出港です。
無事の帰船を祈っています。
担ぎ手の中には、外国人の姿も見えます。オースト
ラリアメルボルンから来ているレオンさんです。
奥さんが町内の方で7年前から坂町に住んでいらっ
しゃいますが、今回で6回目の参加です。
今年12月にはオーストラリアに帰られるということで、
今回が最後の「曳船」となります。
神社までの道中が長いので、現在では台車にのせ
て引っ張って行きます。随分昔は船に乗せ、役場の
近くの総頭川河口まで運んでいたそうです。また以
前は道中担ぎっ放し(私たちが若いころ)ということも
ありましたが、現在では台車で運びます。
伝統の曳船が新しいまちの平成ヶ浜地区のパルティ・
フジを通り、来店客へのPRもします。
そして役場前の国道31号、JR呉線を横切り、いよい
よ神社のある坂地区に入っていきます。
好天に恵まれ、「曳船」は坂八幡神社奉納に向けて、
順風満帆の出船をし、神社参道へと進んでいきます。
最初の休憩場所、恵比須神社前では、森浜地区の
方々が拍手で出迎えてくださいます。
いよいよ祭りにやってきたなとの緊張感が走ります。
神社への奉納姿は次回紹介します。