こんばんは 「ようよう坂町」
昨日今日と一日中の雨。菜種梅雨とでもいう
のでしょうか。毎日走り続けて24年余りです
ので、たとえ旅先であろうが、雨の中であろう
が走っています。同窓会で楽しんだ宮浜グラ
ンドホテルでの一夜。明けてみると雨でした。
「雨が降れば傘をさして走ればいい」と、ホテ
道の案内があましたが、残念社の方を選ぶこ
とにしました。
途中庭園が美しい「庭園の宿石亭」があります。
で有名な“上野屋”さんの経営です。
温泉地を外れ、山道を進んでいくと、四十八坂
の古戦場と残念社の案内板があります。
1,886年長州征伐の際、宮津藩士依田伴蔵が
和平交渉に向かう途中、四十八坂で長州軍に
狙撃され、ついに和平ならず、「残念」の一声を
残して倒れたどのことで、村人が礼を祭ってい
ます。
残念社です。
依田神社です。
このところはオゾンの多いところとのことで、案内
に従って深呼吸を20回してみました。雨なので
どうかと思いましたが、何だか気持がよくなった
この辺りは西国街道(旧山陽道)です。
ありました。“親思う心に勝る親心、今日の訪れ
何と聞くらむ”の一首を残して江戸に護送される
中、西国街道で最も難所といわれる八坂峠のこ
の岩に腰をかけて、はるか故郷の島である大島
を望みながら、父母の恩愛に感激をし、「この場
こそ、三県一望の地である」と、故郷に別れを告
辺りは木が茂っていたし、雨模様なので三県を
見ることはできませんでした。
民ふれあい道路があったので、そちらへ向か
山陽自動車道の上を通ります。向こうに見える
のが宮島です。
陸橋をこえると、こんな林の中や
竹林の中を進んでいきます。朝薄暗い中なの
で、何だか怖い感じがします。イノシシの通った
跡らしきものもうかがわれます。
やっと山の中から出てきました。「じゅらく山荘」
です。以前はこの施設は宮島競艇場の福祉施
設「鳴川山荘」でした。昭和54年6月には坂町
商工会婦人部の設立総会があったところです。
そこから山沿いま道路を走っていると、宮島が
見通せる場所に出ました。
宮島の西端です。晴れていると、大島が見え
るかもしれません。
宮浜温泉に帰ってきました。
宮浜温泉のある大野町は、カキの産地で有名
この貝を筏につるし、カキの種のつくのを待ち
温泉街の中の案内板です。
今は日帰りの「べにまんさくの湯」が中心に
位置しています。この辺りを会場に2月第一
日曜日には「大野カキフェスティバル」が開催
温泉だけでなく、魅力的な施設をということで、
グラウンドゴルフ場としての緑化事業が3月
下旬に、地元のボランティアの協力のもとで
行われました。
夏には立派な芝となり、グラウンドゴルフ場とし
公園の中にあるトイレもまだ使用できません
が、右上のようなマークを初めて見ました。
同窓会で、日本オストミー協会の活動をされて
いる方がいらっしゃり、聞いてみると“人工肛
門”をつけている方も利用できるトイレのマーク
だそうです。そのトイレを普及して行こうという
公園横の桜並木の下は花のジュータンでした
が、まだ見ごろです。
対岸に宮島が見えますが、雨模様でかすんで
ホテルに帰りました。ひと風呂浴び、食べる朝
食が何とおいしいことでしょう。
ほとんどの人がホテルに到着から出発まで
閉じ困ってどこにも行かず、ということが多い
でしょう。せっかくですので、少し朝早く起き、
周辺を散歩したり、ジョギングされることをお勧
めします。知らないところに行くと、感動との出
会いがあります。