津和野街道ブランド化事業をコーディネイトしている広兼高士さん(ドラゴンさん)より ちょっと一言 | 広島県 佐伯商工会

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今日は、津和野街道ブランド化事業をコーデイネートしている広兼さん(ハンドルネーム ドラゴンさん)より津和野街道のもう一つの面白さや歴史を紹介して頂きました。


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 時は幕末、津和野藩の少年が母を訪ねて津和野街道を歩き上京するという小説があります。「源吾旅日記」です。旅の途中、生山峠では旅で知り合った侍が鉄砲で撃たれます。音の表現が「ダーン、ダーン」どこか懐かしさを感じます。(侍には後日再会します)

星坂関所に残る話では、関所の役人が手形の無い人に「あそこの山に道があるが、絶対に通ってはならんぞ」などと裏道を教えていたとか。

重なり岩の「帯び掛け明神」には乳飲み子背負った市岐姫命(いちきしまひめのみこと)とあります。

さらに街道沿いの錦町「島の谷明神社」島根県吉賀町の「乳母御前明神(古い資料)」などに厳島神社との関係が残ると聞きます。 

明治初期の浦上四番崩れで犠牲となったキリスト教の人たちを偲び、今でも毎年カトリックの人たちによる巡礼の旅も行われています。(五月の連休)


さて、海路はどうだったのでしょう

廿日市から大阪までの大きな潮待ち港は、まず広島県では呉市蒲刈、御手洗、次が福山市鞆の浦、次が岡山県下津井港、東洋のエーゲ海と言われる牛窓、そして兵庫県龍野市室津、だいたい一日で40km前後進んでいたようです。

上陸は室津と聞きますがまだ詳しく調査していません。この室津には海鮮問屋が資料館として残り、脇本陣の建物が保存されているようです。

 

広島県 佐伯商工会-鞆

鞆の浦の風景

広島県 佐伯商工会-下津井

下津井の町並み


 今後の津和野街道の最新情報はホームページ(新着情報)で紹介します。さらに沢山あるブログを整理し街道の写真専用ブログも考えています。

津和野街道は多くの重要な歴史の残る道、そして豊富な自然が残る道小学生からご高齢の方まで全ての人に、歩いて楽しく、自宅でも(サイト)楽しんでいただける津和野街道にしていきたいと考えています。

そのうちに「津和野街道団子」ができるかも?

広兼高士

「ハンドルネームはドラゴンまたはdragonです。初めて覚えた英語の歌がパフ(マジックドラゴン)この街道にマジックがかかりますようにdragon