麻生祇園馬出し祭!今年も戦うぞ!
ヤマタノオロチに見立てた神馬![]()
と
スサノオノミコトの神輿の戦い![]()
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圧巻!
風土記の時代から伝承されている馬
奈良時代の常陸国風土記の行方郡(なめがたのごおり)に記載されている麻生の里
山のふもとの野は筋馬を産する。天武天皇の時代に同じ行方の大生の里に住む
タケルベノコロノがこの野の筋馬を捕らえて朝廷に献上した。
世にいう行方の馬とはこれである。
馬と神輿の戦いは、多くのシャッターチャンス![]()
行方市の麻生地区の古宿と新田地域が実施します!
麻生祇園馬出し祭り7月27日(土)~28日(日)開催
7月27日(土)御浜おり 13:00~八坂神社
7月28日(日)御立ち 14:00~八坂神社前御仮屋
令和6年 麻生祇園馬出し祭りは、茨城県行方市麻生420
天王崎公園にある八坂神社で開催されます![]()
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壮絶な馬と神輿の戦いです![]()
麻生祇園馬出し祭とは・・・・・
慶長五年(一六〇〇年)、関ヶ原の戦いでは西軍に与し、戦後処理にて
改易となり、近江の国の新庄父子の身柄は蒲生秀行の預かりとなった。
慶長九年(一六〇四年)家康に召されて駿府に入り、赦免を受け、江戸
の徳川秀忠に拝謁して、常陸国行方郡・河内郡・新治郡・真壁郡・那珂
郡、下野国芳賀郡・都賀郡・河内郡の八郡において、三万三百石を与え
られ、後に行方郡麻生に立藩した。故郷である近江の国の琵琶湖によく
似ている霞ケ浦の景色にきっと安堵感も覚えたことでしょう。
琵琶湖から霞ケ浦へやってきた新庄様
寛文(かんぶん)八年に、麻生藩主 新庄直時が、領内二十四か村の
役人を召集し拝殿において天下泰平・五穀豊穣の祈願をして、手厚く
保護し、現代に伝承されています。
八坂神社のご祭神は、スサノウノミコトですが、厄除けの神として
知られる牛頭天王(ごずてんのう)を祀る神社でもあり、天王崎の
名称は、この牛頭天王からきていると考えられます。
水神様もある八坂神社 大人の神輿と子供の神輿![]()
祭りは、麻生地区の古宿地域と新田地域が合同で開催しています![]()
八坂神社の獅子頭![]()
昭和20年頃まで、船材の厚板で船大工が頑丈にこしらえた神輿に
獅子頭を奉収して、しめ縄を幾重にもまきつけた。
御幣を先頭に、子供たちがかつぎ、家々の庭先で荒々しく叩きつ
け、家庭から疫病を防ぎ、災厄を免れるよう雄叫びをあげて走った。
多年繰り返し、獅子の下顎と両耳は欠落しましたと平成23年3月
行方市教育委員会の掲示板に記載されています。
獅子頭は、室町時代後期の作であるところから、祭りはそれ以前
からあったものと考えられます。
両地区の民家を神馬と神輿が1件1件回ります![]()
7月下旬開催の神事に子供神輿を担ぐ子供たちも暑さでぐったり![]()
令和6年度の祭礼は、わくわく![]()
麻生祇園馬出し祭りは、古宿、新田の二つの地区が中心となり行われます。
この麻生祇園馬出し祭りで注目されるのが、暴れ馬と人が一体になり八坂神社の境内を走り抜ける姿です。
馬出し祭では馬をヤマタノオロチ、神輿をスサノオノミコトに見立てているといわれています。
初日の宵祭りでは、神輿を先頭に稚児さんや神職が行列をなして地区内を練り歩きます。
二日目、本祭りでは八坂神社内で馬と神輿が勇ましい戦いを繰り広げた後、浜降りといって神輿が霞ケ浦に入ります。
※麻生祇園馬出し祭りは、行方市の無形民俗文化財に指定されています。
祭りだ
わっしょい![]()
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だって、私の生まれたところだもん![]()







