


行方条北浦地区遺称地を巡る

藝都里(きつのさと)の旅





武田地方 中心*化蘇沼稲荷(沼・湿地帯)分水嶺
(小貫・次木・両宿・内宿・長野江(野友・串挽・高田)、成田、(三和)
藝都里(きつのさと)伝説
化蘇沼稲荷神社にある寸津毘古・
きつひこ・きつひめ
茨城県行方郡北浦村蘚沼。昔、国栖(土蜘蛛の類)の
きつひこ・きつひめという二人がいた
命令に背き教化に従わず、たいへん無礼であった。
そこで御剣を抜いて、すぐに斬り殺された。
そこできつひめは恐れおののいて、白旗を掲げて
お迎えして拝んだ。天皇は哀れに思って恵みを垂れ
住むことをお許しになった
化蘇沼稲荷神社に建立しています


8月25日(火)に開催されました

行方市内宿にある「化蘇沼稲荷神社」は、文明10年(1478年)の創建と
伝えられ、昭和48年3月1日には、市指定有形文化財にもなっています

化蘇沼稲荷神社では、豊作を祈る夏祭りの際に相撲が奉納され
つづけています。そのため「関取稲荷」とも呼ばれています

この相撲は取り組む力士を田と畑に見立て、勝ったほうの作物
(稲作か畑作か)が豊作になると云われており、天保年間
(1830~1844年)に江戸相撲で活躍した当町出身の
鹿島灘鰐右衛門(後の四代目秀ノ山雷五郎親方)が
奉納相撲をしたことで一段と盛んになったということです
現在もこの相撲は氏子地区対抗戦の形で行われ、子どもも
大人も応援に熱が入ります
常設の屋根付き土俵と、今年から新しく鉄骨の桟敷席が設けられました

金毘羅様の前からだと、こんな感じに社殿が見えます

本殿の後方脇に金毘羅大権現が祀られています

化蘇沼稲荷の本殿は1788年に焼失し。その後、
帆津倉の醸造業を営み「亀甲正」の商標で醤油を作って
江戸へ出荷していた豪商・河野涼谷を中心に再建したとのこと
また江戸からの参詣者はこの帆津倉から上陸し、神社に向かった
名残でしょうね。水運で栄えた場所なんでしょう




立派な句碑

豪商の河野涼谷は俳人でもあり、小林一茶とも交流があったようで、
一茶もこの地を訪れているとのこと。この句碑は、松尾芭蕉と涼谷
の作を並べたもののようです
あぁぁ~ワクワクしちゃうわ
これは、恋かもしれない
うふっ












・この道やゆく人なしに秋のくれ (芭蕉)
「お江戸みたけりゃ武田へおいで

武田三宿江戸まさり」
・・・三宿とは武田・内宿・両宿です

最近まであった武田小学校を中心とした地域ですね


昭和21年から番地区の小学6年生が巫女舞の奉納催事も
行われています

古式豊かな雅楽の調べに乗って



日時:平成27年8月25日(火) 7:30~15:00頃
場所:化蘇沼稲荷神社(行方市内宿1571-1)
内容:●巫女舞 ●奉納相撲 ●演芸
行方市小貫のあの山に、巫女御前のお社があります



今、私が現存しているのは、遥か昔のご先祖様の生き様や
体の中に流れている遺伝子が、脈々と身体に伝承されて
きたから

不思議で
不思議で
たまらない




常陸国風土記の行方条ゆかりの遺称地を巡りながら、
まるで、初恋の人に会うように、心が踊っているのです
















