第二次世界大戦時、
飛行場として建設されながらも
使用されなかった飛行場が淡路島にありました。
当時は軍機漏洩の罪を恐れて「飛行場」とは呼ばず、
○○飛行場と呼んでいたそうです。
壁に耳あり障子に目あり
でしょうか???
言葉にできない時代だったのですね。
で、今は、どうなっているかというと・・・
素晴らしいくらい、気持ち良いくらいの田んぼが広がっています。
今は、白菜、レタス、キャベツ・・・と大忙しの野菜が育っています。
■■飛行場の基本データ■■■
■名 称:○○(まるまる)飛行場跡
■建築年:1945年
■所在地:南あわじ市松帆脇田
■概要説明:
昭和18年11月、陸軍は三原平野に阪神地方防空用の飛行場、滑走路は東西幅30m、
長さ1,000m。を建設する命令が下される。
全島からの勤労動員によって昭和20年7月ころに完成。
まもなく終戦となり、飛行場閉鎖。
昭和20年11月から滑走路のコンクリートは堀りおこされていったが、廃棄されることはなく、
水路の石 積み代わりや橋として、また屋敷の擁壁などにも使用され現在もかなり残っている。