埼玉県小鹿野町の宮沢賢治
宮沢賢治の碑です。
小鹿野化石館横にあります。

寿旅館の日記です
当時盛岡第一高校の泊まった記載があります
今年いつ気に発見されました。
これにより宮沢賢治の動向がはっきりと解った
貴重な資料です。
宮沢賢治研究者にとっては
嬉しい資料です。
これにより空白だった秩父での行動が
はっきりした、大発見です。
当時発見された資料を報じる新聞記事です。
保坂嘉内へ送ったハガキです。
当時の消印がはっきりと確認出来ます。
小鹿野町役場前にある宮沢賢治の碑です。
ベールに隠された一辺が明らかになり
秩父と宮沢賢治がまたクローズアップされてきています。
この資料は今
小鹿野町化石会館にて展示
宮沢賢治ファンにとっては見逃せない資料ですので
皆さんに見ていただきたいですね。
宮沢賢治は
大正4年(1915年) 19歳
盛岡高等農林学校(現岩手大学農学部)農学科第二部に首席で入学。
寄宿舎自啓寮に入る。 土、日は登山、鉱物標本採集。
大正5年(1916年) 20歳
盛岡高農2年生。。
7月、関教授の下で盛岡地方の地質の調査。
9月、関教授の下で秩父地方の土性地質調査見学に参加。
今から百年近く前、三峯神社に行くため、贄川宿を通過しています。
我が「源内」宅の前を歩いて通過しています。
我が家はこのとき「角屋」という旅館を営業していました。
もしかしたら、この宿場町 贄川宿で お茶でも飲んで
休んでいったかもしれませんね。
たまには古き昔を振り返ってみるのもいいものですね。
私のハンドルネーム「源内」
この道を歩いた「平賀源内」からとったものです。
百年近く前当時はどんな風景だったのでしょうか
考えるだけでも楽しいものです。
源内

















