黄金の国ジパングと甲斐金山展 その1
山梨県立博物館開催の黄金の国ジパングと甲斐金山展を紹介いたします。
日本は古来より、金の産出国として知られています。
マルコポーロは「東方見聞録」の中で黄金の国ジパングと呼びました。
ヨーロッパ人はアジアへの夢を掻き立てられコロンブスを代表とする
多くの人たちがアジア目指して航海に旅たちました。
このころの日本は世界でも有数の金の産出国であったといわれています。
藤原氏では、中尊寺の金色堂に収めれれている経文を
中国より金1.7トンで手に入れたいわれています。
古墳時代から中世、江戸時代と黄金文化が花開いていました。
今では、日本の金の産出量はあまりありませんが、
日本の歴史を語るにはなくてならないのが黄金文化です。
今回山梨県立博物館にて4月25日より6月15日まで
黄金の国ジパングと甲斐金山展 が開催されています。
甲斐金山展の内容です。
画像で紹介いたします。
なぜ甲斐の金山展なの・・・。
甲斐の国は戦国時代武田氏などにより、金山開発が盛んでした。
黒川金山・湯之奥金山が総合的な学術調査により、
平成9年「甲斐金山遺跡」として国の史跡になっています。
この甲斐の鉱山技術が後の佐渡金山はじめ全国へ広がっていきました。
この技術により、日本の黄金の産出は増大していきました。
また、甲斐の国を代表するものは「甲州金」です。
これは武田信玄の生きていた時代の貨幣です。
甲斐金山から産出した金は甲斐国でのみ流通する
「甲州金」という独自の貨幣世界を作っています。
この甲州金は、「碁石金」といわれています。
有名な「甲陽軍鑑」の中には甲州金、碁石金の記載があります。
甲州金はこれまで質量で取引していた金を、両・分・朱といった単位を
用いる4進法の計数貨幣にかえたことです。表面には数字などの刻印が押され、
質量の統一も行われています。
江戸時代に入っても使用されていましたが、
江戸の金座とはまったく別の組織だったようです。
金の延べ棒とても重かったです。























