子どもたちとある女の子の話しになった。


小学校で新一年生が入学し、『迎える会』があった時のこと。

全校生徒が集まり、保護者も見学に来ていた。

その日のために、中学校の吹奏楽部も参加してくれていて、小学生は座って、演奏を聴いていたのだが、
ある曲の演奏が始まった時、
4年生の女の子が「この曲大好き!」という感じで、思わず立ち上がり、踊り出した。

その子はダウン症の子。

みんなはその踊る様子を微笑ましく、楽しくて笑っていた。
その子に拍手が沸き起こった。



その時、私が視線をずらすと、そこから少し離れて座っていた女の子が泣き出したらしく、
先生がその子の背中をさすっていた。


後から息子に聞くと、その子は、ダウン症の女の子のお姉ちゃんだった。


みんなが笑っていたことを妹がバカにされていると思ったようだった。

その後、そのことで話し合いがあったらしい。


ただ、私が注意深く見ていたけれど、みんなの眼差しはバカにした笑いではなかった。


だけど、お姉ちゃんからするとそうとしか見えなかったのだ。




そんな出来事のことを思い返して、息子たちと話しをしていた。


「何でお姉ちゃんにはそう見えたと思う?」と子どもたちに質問した。


「俺はバカにされたとは思わんけん、わからん」と次男(11才)。


長男(14才)に聞くと「そのお姉ちゃんがプライドが高いけやろ」と言った。

そこで、「ん?」と私は思った。



何度か問答を繰り返すうちに、次男が「妹がバカにされたことがあったから」と答えた。


私は「きっとそうだよ。妹がバカにされて、笑われているところを見てきたから、今回もバカにされていると思ったんだよ。じゃないと、泣かないよね」と言った。

しかし、長男は「いや、プライドが高いだけやろ」と言った。

私は「ん?」と思った。



そんなことがあったその日の夕方、

長男とスーパーに買い物に出かけた。

その帰りの車の中で「スーパーで痛い親を見た」と話してきた。


「いかにも元ヤンキーといった風貌の母親が、2人の娘のうち、お姉ちゃんの方に口やかましく怒鳴っていた。
お姉ちゃんは、地味で大人しい感じの子で、妹は2歳くらいの子で、お姉ちゃんが妹の手をしっかり引いていた。
そのお姉ちゃんにギャンギャン怒鳴っていた。相当痛い母親だと思った」と。


私は話しを聞いた後、
「そうなんだ。あなたがその親を痛いと思ったということは、
こうなったらいいなぁという親子関係があるはずでしょ?それはどんな親子像?」と聞いた。

答えない。

はぐらかす。
(私がそんなことを聞いたのは、その前の話しの「ん?」があったから)

「いや、ただ痛いと思っただけで、その親子はそのままでいいんじゃないか」とかなんとか言う。

私は「痛いと思ったのに、そのままでいいと思うの?痛いと思ったなら、その反対があるはずよね?」と。



「国の仕事をしている人たちにもたくさん痛いと思う人がいるけど、
『そういう人もいるよね、愛嬌だ』と思う」と答える。

私は「痛いと思うのに、愛嬌なの?そんなこと聞いてないんだけど」と言う。




「じゃあ、例えば、その人たちを痛いと思うなら、どんな人たちがいたらいいと思う?」と聞くと、、、言葉が出ない。

あまりに言葉が出ないので、「お母さんだったらさぁ」と話す。




「お母さんだったら、親子関係なら、親も子もお互いが認め合って、、、
もっとシンプルに言えば、みんながニコニコしていたらいいなぁと思う。

それが、広くなれば、国も同じで、みんながみんなの幸せを想い合うようになったらいいと思う。
私が聞いていることは、そんなシンプルなことだよ」と言った。

すると、彼は「それは理想論やん」と言った。

私は「理想の何が悪いの?理想を話してもいいじゃん」と言って、その時の話は終わった。



夕飯を食べている時、長男が話し出した。

「答えが出た」と。

どうもその話がずっと気にかかっていた様子だった。


「ある芸能人の話しでね、その人が水やりのジョーロが青色だったから、
それを半分錆び付いたようなペイントにしたんだって。

そしたら、それを見た奥さんが『何で綺麗な青色にしちゃったの!錆びてたほうが良かったのに!』って言ったんだって。
俺もそう思う。綺麗な青色より、錆びついてる方がいいって。」


私は彼の言いたいことは、私の理想をきれいな青色だと比喩して言ってるんだとわかったけど、
「意味がわからない。そんなこと聞いてない。シンプルにその親を痛いと思ったなら、痛くない状態は何かと聞いてる」と
言った。




彼は「その親子の一面を見ただけで、何も言えない」と言う。

「そんなことは聞いていない」とまた、私は言う。



「確かに、私だって、その母親のことを、普段から余裕のない生活のところ、
このコロナでもっと生活が圧迫され、精神的にも追い詰められて、
子どもに当たっているのかもしれない。そんなことは思う。
だけど、そうじゃなく、そんな状態の人も、こうあったらいいなぁ、と思うでしょ?それを聞いてるの」と言った。



すると、彼は目にたくさんの涙を浮かべて
「仲良くしてほしい」と言った。


私は「そうだね、仲良くしてほしいね」と言うと、
「すごくかわいそうに見えた」と泣きながら言った。


「かわいそうって思っても、どうしてもあげられないもんね。
助けてもあげられないもんね。それが悲しいんだよね。」と私は言った。


彼はうなづきながら聞いてた。
「だけど、そう思った自分の気持ちを無いことにしなくていいからね」と私は言った。


その後、改めてダウン症の女の子のお姉ちゃんの話しをしたら、
私が話していることが伝わったみたいだった。




こんな日常のことをみなさまに読ませてしまったけれど

読んでいただいたあなたは
どのように感じましたか?



私が、自分の子どものことを「本当は優しい子」とか
そういうことを言いたいのでもないし
子どもに伝えられたことを良かったとも思っていません。



でも、なぜ、これを書き始めたか…というと

考えることを諦めている人が、たくさんいるんじゃないかと思ったから。

何が正しいのか…ばかり考えていて
人生のことを何も考えていないような気がして。



shoko





そらさんのブログ