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私は、先日まで出雲の『四葩の結』に滞在させて頂いていました。

 
 
5泊6日の滞在中は、毎日、一日中、庭仕事をさせて頂きました。
『四葩の結』でも『蒼穹の想い』でも。
 
 
ただの作業ではなく、植物との関わりの中で、
そらさんに大切なことを気づかせてもらったり、感じさせてもらったり、考えさせてもらいました。
 
また、皆さんと関わらせてもらって、
さらに皆さんそれぞれの存在を感じたり、自分のことも感じたりさせてもらいました。
 
本当にどれも私にとって大切なことばかりだったのですが、
そこで感じたことの中から、特に『蒼穹の想い』で感じたことを思い出して書いています。
 
そんな中で私自身のこれからを考えることになったので、そのことを書かせて頂きます。
 
 
 
蒼穹では、そこにある全ての物が驚くほど大切にされていると感じていました。
 
例えば、キッチン。
 
食器棚の中にいるお皿の一枚、一枚。
 
コップの一つ、一つ。
 
スプーンの一本、一本。
 
それぞれ一つ一つがそこに居て、大切にされていることを感じました。
 
お皿は、ただのお皿ではなく、コップはただのコップではなく、スプーンはただのスプーンではなく、『その子』でした。
 
スプーンやお箸は、まるで赤ちゃんのおくるみのように、柔らかいガーゼの布に包まれていました。
 
ポットも、電子レンジも、トースターも、ジューサーも、みんながそれぞれそこに居てくれて、これは、私の妄想だけど、みんなが喜んでそこに居るかのように、喜んで使われているように感じました。
 
そんな全ての一つ一つの存在が大切にされているのを感じたから、
私もここに存在させてもらえてるんだ、私もここに居させてもらっていいんだと、同じように感じたのかもしれません。
 
居ても居なくてもいいような、他の誰でも変わらないような、そんな風に流されるような、見過ごされるような
どうでもいいようなそんな存在なんていない。
 
偶然出会って、何も関わることなく、目の前のことだけをやって、ただ過ぎてしまう、その時だけで忘れてしまう
そんな存在なんていない。
 
『大切なもの』というレベルではなく、
前にそらさんが言われた『私の人生に登場してくれた』というレベル感(うまく言葉にできません、ごめんなさい)で、
相手の人生を想われているので、そのことは分からなくても、その感じが、ものすごく特別な、
それまで感じたことのないものと感じたのかもしれません。
 
そらさんやなりちゃん、出雲の人たちの想いを感じたから、
私だけでなく、蒼穹を訪れた人たちが、「私はここに居ていいんだ」「生きていていいんだ」と
何かを言われたわけではなく、勝手に感じ、それを生きていく支えとしているのだと思います。
 
 
私には、相当に遠いことだとは分かっていますが、
私が感じさせてもらっているように、関わらせてもらう方が自分の存在を感じられるように、
相手の存在を感じられるように、人生を感じられるように・・
私の人生に登場してくれた相手を想ってちゃんと見て、想って関わって。
そう生きていこうと思います。
どんな時も、そう生きていこうと思います。
 
 
四葩では、四葩の人たちだけでなく、全国の方々も、みんなが必死に向き合い、
必死に関わっていることを感じさせてもらい、
そんな中で、みんなで一緒に生きているんだということを感じられました。
 
今回の滞在も、ありがとうございました。
 
 
 
shoko