昔は、人と人が分かり合えないということをとても悲しいことだと思っていました。
私と人が分かり合えないこともそうですし、
人と人が分かり合えないことも、とても悲しいと感じていました。
どうして、分かり合えないのだろう?
どうにか、分かり合えないだろうか?
分かり合いたいから、人を分かろうとしました。
人と人の間に入って、お互いに分かってもらおうとしました。
そうしていたつもりでした。
でも、やっぱり分かり合えない…。
もう、諦めていました。
バトンで深めさせてもらう中で、
それぞれ、一人一人が、全く違う存在だということを知り、
関わって下さるみなさんとの関わりの中で、事実として観させてもらっています。
何度も繰り返してしまいますが、
一人一人、それぞれが全く違うという具体的「事実」は、驚きでしかありませんでしたし、
今もなお、知るほどに驚くばかりです。
私が、初めて「それまで知っていると思っていた人」ではない「人」を感じたのは、
出雲バトンに初めて参加させてもらい、初めてゆかちゃんと出逢った時でした。
ゆかちゃんを見た瞬間、何だか昔からの知り合いのような親近感を感じていました。
キッチンで、みなさんと過ごしていた時のこと。
なりちゃんとゆかちゃんが話しをしていて、
それは、ゆかちゃんの日常の話しだったのですが、ゆかちゃんの『基準がない』本質が表れている話しだったのです。
(『本質』とゆかちゃんの本質については、下記にそらさんのブログの過去記事を紹介していますので、是非お読み下さい。)
私は、衝撃を受けました。
衝撃を受けすぎたのか、話しの内容は覚えていないのですが、
その時、感じたことは、忘れもしません。
「こんなに『基準がない』なんて。
人がそれぞれにこんなにも違う存在で、考えたこともないような存在で、分かるはずがない存在なら、私はどうやって人に関わればいいの!?」
最初に感じた親近感は吹っ飛んで、
急にものすごく遠くに感じてしまったのでした。
その時は、ある意味ショックだったのですが、
その後、深めていく中で、
本当は、私が感じたいと願っていたこと、一人、一人、それぞれの存在を感じたいと思っていたことに気づかせてもらいました。
それから、私はその人の存在を知りたいと強く思うようになりました。
個性レベルではない、その人の存在のことを。
私が人が分かり合えないことを問題視し、「悲しい」と感じていたのは、
簡単に分かり合えると思っていたからです。
自分と同じことが正しいと思っていたからです。
本当の人の存在を知らなかったからだったのです。
私たちは、
分かり合えないということで、どれだけトラブルばかりを起こし、
どれだけ、そこにエネルギーを費やしているのでしょう?
逆に、分かり合えないということで、トラブルを起こさないように、
人と関わることを避け、どれだけ立ち止まり続けるのでしょう?
きっと、誰もそんなことを望んではいませんよね。
でも、人と関わるとそうなってしまう…。
私たちは、それぞれが全く違う存在です。
だから、相手を知ろうとするしかありません。
本当の人の存在を知らなければ、諦めるしかなくなってしまいます。
人と関わることを。
相手と分かり合えないと感じるのは、相手と分かり合いたいからではないでしょうか?
分かり合えない…と過ごしている時間は、
大切な相手と大切に過ごせる人生の時間でもあるのに…
そんなことをしていては、あまりにもったいないと思いませんか?
私が、あのまま、人のことを分かったつもりで、分かり合えないことを悲しんでいたら、
大切な人たちとの別れの時に、やっと、
「そんなことはどうでも良かったのに。」と気づいたのかもしれません。
いえ、事実、父が亡くなった時に思いました。
「私が父を大切にしたいだけだったのに」と。
私たちは、事実、それぞれが全く違う存在です。
だから、相手を知ろうとするしかありません。
本当の人の存在を知らなければ、諦めるしかなくなってしまいます。
人と関わることを。
知らないだけだから。
諦めないください。
どうか、諦めてしまう前に、知ってください。
shoko
『本質』について書いてくれているそらさんのブログの過去記事です。
この記事の最後に、ゆかちゃんの本質について書いてくれているゆかちゃんのブログ記事が紹介されています。
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