あの日
大通りで
母と幼馴染のお母さんと
スープカレーを食べて
入院していた父を見舞うため
北大病院へ向かった

1回目の揺れは
運転していたから気づかなかった

でも携帯に
今まで見たことのない警報が入って
手が震えた


北大病院につくと
病室は停電してバタバタしていた。


10階のトイレで用を足している時に
2回目の揺れが来て
自分が目眩していると勘違いした


ロビーのATMは故障していて
警備会社が慌てて修理をしていた
(今思えばあの出動は序の口で、
あの時
全国的にひどいことになっているなんて
誰も想像しなかっただろう)


夕刻高速で自宅に帰る途中
ラジオで
「東北大学の屋根が飛んでいます」と
伝えるアナウンサーの声に
苦笑するしかなかった

全然現実味がなかった

帰宅してニュースで映像を初めて見て
ただただ絶句


その晩は眠れなかった
ずっとニュースを検索していた




翌日会社では
広告差替の電話を代理店に何回もかけ続けた
イベント中止、明るいBGM中止、
刷り終わったチラシは?
収録済みの素材は?
どこまで止める?どこまでいける?って
無心で確認し続けた



東北の事務所は
現金も商品もすべて荒らされていたと
あとから聞いた
命さえあれば、、
でもこんな中ですら、、と思った



たまたまディズニーにいた同僚は
あとからディズニーの震災美談を聞いて
「あんなの
現場では一切起こっていなかった」と
呆れて笑った



10年たって、
今年は特に
震災関連のニュースを見るのが辛かった


幼稚園で、保育園で、学校で…って
当時はそこまで想像できなかったが
子供を持った今は違う


これ以上誰も悲しまないように、
悲しい出来事が起きないように…


ずっと祈っています。