数日前の新聞記事

を読んで

 

それまでモヤモヤ

していたのもが

 

スーっと消えました。

 

 

 

 

ドリアン助川さんが

若い人たちが集まった

ラジオの公開録音で

 

「社会で生きる意味は?」

 

と質問をすると

ほぼ全員が

 

「ぼくたちは社会で役に立つために生きている。そうでなければ意味がない」

 

と答えたとか。

 

これに対して

ドリアン助川は

 

 

以下引用

 

 

若者たちの気概はいいのですが、同時に「社会で役に立つ人生」という言葉には違和感を覚えました。ハンディキャップのある人、生まれてすぐに亡くなってしまう子どももいます。この社会で評価されている概念が、ある人たちにとっては途方もない暴力になっているのではないだろうかと。

 

 

 

生徒さんの進学指導

をしていると

 

特に志望理由書など

がそうなのですが

 

 

学校によっては

こうした

「社会で役に立つ」

のようなことを

 

教育方針などで

掲げているところ

 

もなかにはあります。

 

もう何年も前から

何となく違和感を

覚えていたのです。

 

 

よく祖母が

 

「自分の頭の蠅も

追えないのに」

 

と言っていたことも

あるのかもしれません。

 

 

もちろん

渋沢栄一も『論語と算盤』

 

「社会の役に立つ」

 

を何度となく書いている

のですが

 

 

なぜか、渋沢が言うと

 

「そうだよな」

 

と思ってします。

 

 

おそらく

渋沢の思考の根底には

論語などの古典の精神が

しっかりとある

 

からなのかと

勝手に思っていますが。

 

 

とある学校の教育方針

 

この学校の国語の過去問が

いい問題なのですが

 

教育方針に

 

「志をもつこと」

 

を掲げていますが

 

こちらはスーっと

胸に入ってきます。

 

 

最澄の教えに

 

「一隅を照らす」

 

がありますが

 

それに通ずるものが

あると感じます。

 

 

 

 

 

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