休日なのでどうでもいい話題を。

 

 

先週のオンライン国語読解授業。

太宰治の『走れメロス』が題材

でした。

 

あらすじなどは割愛しまして笑

 

問題文からメロスの自分の命と

引き換えに守ろうとすることを

書き出すと

 

 

わが身を殺して、名誉を守る希望である。

私は、信じられている。

私の命なぞは、問題ではない。

死んでお詫び、などと気のいい事は言って居られぬ。

私は、信頼に報いなければならぬ。

私は、正義の士として死ぬ事が出来るぞ。

 

 

―これって「侍」じゃない。

 

 

そこで頭にフッと湧いてきたのは

江戸時代の著書『葉隠』の一節。

 

 

武士道とは死ぬことと見つけたり。

 

 

絶えず死を意識しろ

と言っているのではないですね。

 

死をも覚悟して

死をもって責任をとる

 

そのぐらいの覚悟で

言動に責任を持て

 

ということなんでしょうね。

 

 

この辺は実際に戦が日常だった

戦国時代の武士の姿を描いた

『三河物語』

とは違っていると感じます。

 

『三河物語』に出てくる武士たちは

主君への「恩義」はもちろんですが

後の世に後ろ指を指されような

生き方を嫌いながらも

「名誉」となによりも「家」を残すこと

にしたたかです。

 

 

これが江戸時代、

綱吉の代に朱子学をもとにした

「文治政治」へと転換。

 

一般的に「武士=侍」と聞いて

イメージする姿が形作られた

わけですね。

 

その代表作が『葉隠』と言えるでしょう。

 

 

太宰は明らかに『葉隠』派ですね笑

 

 

「命」よりも大切なものがあるのか。

 

これは意見の分かれるところ

ですが

 

太宰はそれを言いたかったのでは

と思ってしまいます。

 

 

 

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