過去の闘病の経緯と日々の出来事に遡ります。
2022年1月 右上腕部ホクロの悪性黒色腫発覚、拡大切除
2022年6月 キートルーダ、オプジーボ&ヤーボイ2クール目終了後も効果なく
脳転移を含む全身転移
認知障害が出たため緊急入院、脳への定位放射線治療
右半身不随
主治医より余命3ヶ月宣告
2022年6月から要介護5認定
自宅で介護
固形物が喉を通らなくなった頃には訪問医より余命2週間宣告
葬儀屋さんを家に呼んで費用見積もりとる
2022年夏の終わりに6月の放射線が効き始め右半身動き始める
2022年9月末オプジーボ&ヤーボイ3クール目再開
2022年10月腫瘍マーカーの数値が下がり始める
今までのブログでは、癌発覚から奇跡的に薬が効き始めるまでの壮絶なストーリーを綴ってきました。
その続き。
2022年10月 長女の8歳の誕生日を無事に祝う
2022年11月 私は運転免許を取るために教習所に通い始める
(夫に付きっ切りでなくてよくなったタイミングで。)
(脳腫瘍がある夫はもう運転できません。)
娘二人のピアノの発表会に参加
長女は夏の間、この発表会にむけて練習していた
ラピュタの唄「君をのせて」をダディーに聴かせることができました
2022年12月 クリスマスを友人宅で一緒に祝う♪
夫がYoutuberになる
この頃から闘病記を投稿し始めました。
現時点(2024年6月)でチャプター41にもなっています。
世界中にたくさんいる夫のお友達への近況報告と、同じ病気で戦っている方々の希望になっていただく為に始めました。
全て英語ですが、もし良ければご覧ください
応援していただけると夫も喜びます。
2023年1月 悪夢が始まった時から1年経過。元旦は初詣で回復と健康を祈る。
私の最愛の祖母が亡くなる。(享年85歳)
危険な状態なのは知らされていたから覚悟はしていました。
誰も最期の時に間に合わず、一人で足早に逝ってしまった
駆けつけて、亡骸を眺めながらこんな日が来てしまった、と不思議な感覚に捕らわれました。
それから最期までくれた大きな愛をしっかり受け取りました
戦後の我慢を美徳とする時代に
夫に守られながら、3人の子どもを育て、自分の母親を介護し、
まっとうに生き抜いた、尊敬する女性。
私の十代の頃には働きに出る母親に代わって、毎日美味しいご飯とお風呂を沸かして
いつも変わらず清潔なおうちで当たり前のように待っていてくれた。お弁当も作ってくれていた。いつも床に落ちてる髪の毛拾って歩いていた。のんびり座ってくつろいでる姿なんて、ほとんど見たことなかった。
孫二人の面倒もみることになってしまったけれど、毎日淡々と愚痴もこぼさずに面倒みてくれていた。
スーパーに買い物に出るだけの日も欠かさず毎日ちゃーんとお化粧して、鮮やかな色のリップで仕上げていた、おしゃれなおばあちゃん。
今の自分で、あの頃にタイムワープして会いに行きたい。
85歳のお誕生日に85本のバラを送りました
おばあちゃんを見送った翌日、
私38歳を迎える。
友人が子供達をみててくれて、広尾の素敵なイタリアンで
夫婦でお祝いその友人からシャンパンのサプライズプレゼントもあって超感激
2023年2月 夫51歳の誕生日を迎える。
夫が大好きなメキシコ料理店にいつものサポートクルーの親友たちをこっそり呼んで、
サプライズバースデーディナー
危機を乗り越えられたのはその友人たちの力添えがあってこそ。
最大の危機を乗り越えて迎えた最初のお誕生日を一緒に祝ってほしかった
2月末、
サポートクルーの一人、いつも家族ぐるみで仲良くしてくれる友人一家と湯沢へスキー旅行。
数か月前まで半身不随だった夫、スノーボードに挑戦したいって。。。
(スノボが大好きで毎シーズン何度もスノボに出かけていました。)
また無謀な・・・・
ここで夫の様子がおかしいことに気が付きました。
悪夢の予兆。
続きは次回。