昨日は、会社を休んで近所のこども園の見学へ。家から近い保育園に預けるのが一番いいんだけど、うちの娘が同い年の子どもたちについていけるのかという心配だけが大きくなっちゃった音譜遠足や工作。赤ちゃんから子どもへと成長することで、身体も大きくなり、本来なら出来て当たり前のことが増えてくる。でも、娘はその年にはそんなに、大きくなくて、できないことがいっぱいあるかもしれない。遠足ついていけないかもしれない。運動会でみんなの足を引っ張るかもしれない。そんな時はどうするの?娘はその環境に耐えれるだろうか。

これから当たり前のように直面する事実。やってみなけりゃわからない事だけど、敢えてこの年でその環境に娘と私の身をおく必要があるかなと悩む。それって本当に私たちのためになるのかなはてなマーク

その葛藤を旦那さんに話したら、どのようにするかは親の自由だから。と言うので、自由の基準って何?と聞くと、娘のためにはどうするのが一番か考えるんだよ。と。そんなこと、わかって話してるのに、旦那さんにはなんだか伝わらないな~。と思ったら悲しくて急に涙が溢れて来た。単なる一日の報告とおもって世界陸上見ながら話半分に聞いてた旦那さん。慌てふためいて、ごめん。今日辛かったの?悪かったって。

やっぱり母親の世界は父親の世界とは違う。うちの子があーだこーだ。おたくは何歳で何ができるの?互いに気になるし聞かれる。聞かなくても何が標準かくらいわかってる。だからこそ、娘の事が心配になる。母親が悩んでたらダメなんだ。

辛いんじゃない。いつからか私は心配性になってる。どうにかなるさ、と笑い飛ばしたい気持ちでいっぱい。

娘のために何がいいのか簡単に答えが出ないことにもどかしく感じてる。簡単に頭を整理できる旦那さんをうらやましく感じてる。

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