愛媛新聞 四季録㊦ | ボンさんの聖子さん日記

ボンさんの聖子さん日記

でもメインはオマケで~す。

2018年2月1日 木曜日

 

 亡くなったシンガー・ソングライターに、村下孝蔵さんがいる。「初恋」「踊り子」などのヒット曲で知られる。作品に「松山行きフェリー」という歌があるくらい愛媛・松山とは所縁(ゆかり)が深い。1999年に46歳の若さで世を去った。

 沢田聖子さんは、村下さんが亡くなる直前まで一緒に公民館でのライブツアーをしていた。コミュニティーの場所で開催することで、普段コンサートホールやライブハウスに行かない人々にも、懐かしいフォークソングを届けようという趣旨だった。

ピアノの弾き語りだった聖子さんがギターを持つようになったのは、村下さんの影響。亡くなった翌年から、毎年命日に「Forever Live~親愛なる人へ~村下孝蔵追悼ライブ」を開くようになった。全曲村下さんの楽曲で構成される。聖子さん自身の曲は村下さんへの思いをつづった「親愛なる人へ」の1曲のみ。

 当初は東京で1日限り開かれていたが、要望が多く徐々に広がり、3年前からは松山でも開催されるようになった。このライブには村下さんのファンも多く詰め掛ける。

 すっかり聖子さんのファンになった私は、自分の店以外のライブも見てみたいと思うようになった。四国ツアーの時、高松や高知へも見に行った。高松ライブを見た翌朝、せっかくうどんの本場に来たのだからと有名な店へ行った。驚いたことに私の前で並んでいたのは聖子さん御一行だった。香川には有名なうどん店がたくさんある。こんな偶然があるものかと思った。

 聖子さんの歌は直球で胸に届く。2001年9月11日のアメリカ同時多発テルで息子さんを失った父の気持ちを歌った「息子からの伝言」

 「失っても 取り戻せるものはある 信頼や情愛 仕事やお金 失ったら 二度と取り戻せないものもある それは 一人にひとつ 与えられた命 どうか 平和の鐘が 世界中に鳴り響くように・・・」

 先週の小欄でご紹介した聖子さんが引き取った子猫たち。当初全員メスだと判断し名づけられたのだが、後に「ひめ」だけオスだったことが判明。余談だが、歌手の松田聖子さんと沢田聖子さんは1字違い。同い年で誕生日は3日しか違わない。沢田さんは「しょうこ」と読む。本名。

 

 (高橋 孝雄・スタジオOWL代表)