2018年1月25日 木曜日
今までOWLでライブを開催してくださったアーティストの中で、最も多く来てくださっているのは沢田聖子さん。すでに15回。いつも超満員。1979年にデビューし現在までにシングル39枚、アルバム36枚を発表。現在も全国を精力的にツアーしている。
私はデビュー当時、特にファンというわけではなかったが、2枚目のシングル「シオン」は有名で、私の大学時代の後輩の女子グループはその曲目をグループ名にしたほどだ。30年後、その沢田聖子さんご本人から「OWLでライブを開催したい」とお電話を受けるとは思ってもいなかった。
最初に来られたのは2010年10月30日。前乗り(前日から現地入りすること)だったので、スタッフらと食事に行っていろいろとお話しした。マネージャーがいるのにご本人から直接会場に電話があったのには事情があった。当時のマネージャーは実のお兄さん。しかし彼はそのような仕事をしたことがなく、全て妹に教えてもらわなければならない見習い中だったのだ。
彼は勤めていた会社をリストラされ無職になっていたところ、妹から手伝ってほしいと声をかけられた。妹は事務所を独立し何もかも一人でやらなくてはならない立場にあった。兄妹としては上の立場だが、仕事上は見習い。妹に指示されなければ何もできない。それでも一生懸命妹を支えようとしている、そんな兄に私は好感を持った。そして一気に聖子さんとその歌のファンになった。
4度目のOWLライブの翌日、12年5月1日。私たち夫婦と聖子さん兄妹、共通の友人5人で四国カルストへ。悪天候のため、せっかくの高原の景色が深い霧雨に包まれ何一つ見えなかった。申し訳ないので、足を延ばし、鬼北町の道の駅、日吉夢産地へ行った。そこに生まれて間もない子猫4匹がコンテナに入れられ弱弱しく鳴いていた。里親募集の張り紙。それを見た瞬間聖子さんはそこから離れなくなった。
お兄さんが悪い予感がすると言った。聖子さんは大の猫好きで長年飼っていた愛猫を亡くして1年以上が経過していた。予感は的中し、4匹まとめて聖子さんが引き取ることに。名前は愛媛の「ひめ」、夢産地の「ゆめ」、日吉といえば「みみ」、そして同行した私の店名「おうる」。聖子さんは、愛媛のライブがきっかけで、女手一つで4匹の子猫を育てる母となった。(続く)
(高橋孝雄・スタジオOWL代表)