1996年 | ボンさんの聖子さん日記

ボンさんの聖子さん日記

でもメインはオマケで~す。

1996年
     「青空」
     「10円玉見つけた」
オマケ

未遂ショック!

昨日の息子の車のドラレコ画像です。

左から出てきた軽トラバンが、

そのまま反対車線に入るかと思ったら、

いつまで経っても、

こちら側の車線を走って来て、

停車したこちらの脇をかすめて行ったそうです。

社名の入った車で暴走は勘弁して欲しいですね。

こんな時慌てて左にハンドル切って隣に車でもいよう物なら逆にこちらが加害者になってしまうので、危険回避はブレーキで、が鉄則ですね。


深夜の揺れにはビックリしました。

幸いにも何も被害は無かったのですが、まだ余震の心配もあり油断は出来ません。





津波田稔=Q:52歳のお誕生日(※3月13日)、おめでとうございます。今、どんな、お気持ちでしょうか。
沢田聖子=A:ありがとうございます。実は、30代後半から、誕生日の感慨ってないんですよ。(笑)誕生日というのは、誰かにお祝いをしてもらうのではなく、周りの人たちに感謝する日なんだと思うようになりました。両親、スタッフ、ファンのみなさん…。よくよく考えれば、52歳まで生きられたというのは、奇跡だと思うんです。東日本大震災を持ち出すまでもなく、いつ、何があるのか分からないのが人生です。この年齢まで「生かされている」という感謝の気持ちでいっぱい。私にとっては、歌を歌い続けることが、恩返しだと考えています。

Q:今年は、デビュー35周年。これだけ長い間、シンガー・ソング・ライターとして歌を歌い続けるというのは、大変なことのように思えます。
A:いえいえ、そんなことはありません。私には、イルカさんというお手本が身近にいらっしゃいますから…。女性としても、ミュージシャンとしても、心から尊敬しています。イルカさんと比べれば、まだまだ修行が足りません。60代になられても、ものすごく精力的に活動されています。

Q:大きな挫折もあったと思います。歌手を辞めようと思い詰めたこともあったのではないですか。
A:子どもの頃からモデルをやっていて、17歳の時にデビュー。特に、音楽や楽器に取り組んだことはありませんでした。自信がない状態で、「イルカの妹」としてデビューすることが決まりました。レコード会社と事務所がレールを敷いて、その上を歩かされたのが実情です。23か24歳の時、イルカさんの事務所を辞めた頃ですが、人間関係、特にマネージャーとの関係がうまくいかなくなり、本気で辞めようと思いました。その頃が一番辛かった。


Q:これまでに発売されたシングルが36枚、アルバムが31枚。膨大な数の楽曲を制作し、歌ってこられました。沢田さんにとって、曲を作るというのは、どういう作業でしょうか。
A:弱い自分をさらけ出すこと。そんな自分を励まして、前に進んで行く…。歌詞は、奇をてらわず、日常生活の一部を切り取っています。自分のことだけではなく、世の中の動きにも注意を払うようにしています。感性を持続させることが大事。

Q:「シオン」や「卒業」がヒットしましたが、思い入れは強いですか。
A:デビューする前に、イルカさんから贈られた「シオン」は、自分の原点です。別格の曲。リクエストも多いですから。「卒業」を最初に聴いた時は「妙な曲だな」と思いました。リズムやテンポが独特なので、記憶に残るというか、引っかかるのでしょうね。「引っかかる」というのが売れる要因だと思います。

Q:沢田さん自身が作詞作曲した16曲を収録して、アルバム『Singer Song Writer GREEN』を出された狙いは。
A:シンガー・ソング・ライターとして、沢山の曲を書いてきました。10代の頃の作品は、歌詞もメロディーも幼いことは承知しています。しかし、今の自分には思い浮かばないものもある。歌を歌う、息を吹き込まないと曲は死んでしまう。そう思って、自分の作品ばかりを集めてみました。

Q:毎年、村下孝蔵さんの追悼ライブ(※6月24日)をされています。村下さんは、どんな方でしたか。
A:村下さんと一緒に、10年以上、ジョイント・ライブをやりました。北海道から沖縄まで日本全国を回りました。ギターが大好きな少年が、そのまま大人になった、それが村下さんです。ライブでは、ベンチャーズや加山雄三さん、それにベートーベンの「運命」をギターのインストで披露していました。それがお客さんに大好評。ヤマハのコンパスを使っていらっしゃいましたが、ギターは本当に上手でした。ライブの後の打ち上げが終わっても、それから、ギターを弾きにベンチャーズの店によく行かれてました。朝までやることもしばしば。村下さんが亡くなった後、「親愛なる人へ」という追悼曲を作り、私もギターを弾くようになりました。


Q:これからの活動予定、目標を聞かせてください。
A:吉祥寺では、今年も、「スターパインズ・カフェ」で村下さんの追悼ライブや新しいアルバムの記念ライブを予定しています。将来のことはあまり考えていません。今、やれることをやるだけ。今を一生懸命生きてゆきたい。結果として、生涯、歌を歌い続けられれば幸せです。

2014年3月12日・東京都新宿区