【三河一向一揆の舞台、本證寺】


昨日は『三河一向一揆』の
中心舞台となった
『本證寺(ほんしょうじ)』
を訪ねました。




『本證寺』は鎌倉時代に
慶円上人(きょうえんしょうにん)
が開いた真言大谷派のお寺です。

戦国時代の三河一向一揆で
徳川家康を大いに

悩ませましたが、
ついには戦い敗れました。


その後寺院は家康によって

全て破却されました。

しかしながらその20年後に
許しを得て再建。

江戸時代には200ヶ寺以上の
末寺を持つ中本山として
繁栄いたしました。


現在、境内には江戸時代に

再建された建造物が

多く残こされています。


中でも本堂は寛文3年(1663)の
再建であり最も古い建物です。


《本堂》寛文3年(1663)築



《経蔵》文政6年(1823)築




《鐘楼》元禄16年(1703)


珍しい『12本柱』の鐘楼は寺格の高さを示す。




《庫裡》文政13年(1830)


《庫裡の内部》

入り口を入ると広大な表土間と広間が広がり

天井は太い梁組を見せるなど格式の高さを

象徴している。




《龍宮橋と庫裡》



一向一揆当時の本證寺は、
二重の堀と土塁がめぐらされ、


《現存する堀と土塁》


《現存する堀と土塁》




天守閣の角櫓にも似た
『鼓楼』もありました。


《鼓楼》宝暦10年(1760)築



《鼓楼と堀と石燈籠》



一向一揆当時の本證寺は、

寺と言うよりはまさに『平城』

といった様相だったそうです。



『どうする家康』効果か。。。


昨日は

観光客が次々と訪れていて、

ボランティアのガイドさん達が

大活躍していました♫