日時: 2024年6月29日(土)
場所: 東京文化会館
指揮: アントニオ・パッパーノ
演出: アンドレイ・セルバン

トゥーランドット:エヴァ・プウォンカ
カラフ:ブライアン・ジェイド
リュー:マサバネ・セシリア・ラングワナシャ
ティムール:ジョン・レリエ
皇帝アルトゥム:アレクサンダー・クラヴェッツ
ピン:ハンソン・ユ
パン:アレッド・ホール
ポン:マイケル・ギブソン
官吏:ブレイズ・マラバ


音楽的にも演出的にも、色彩鮮やかで壮大なスケール、スペクタクル富んだ舞台です。

パッパーノは溌溂としたキレのある指揮姿、オーケストラは分厚く推進力があり雄弁です。
大胆で繊細、情熱的で幻想的、そして緊迫感のあるドラマチックな音楽を奏でています。
そのパワーに圧倒されますが、『リゴレット』で魅せていた精緻精妙さには少々欠ける印象。
まぁ、それぞれのオペラ作品としての特性もあるでしょうが。


トゥーランドット役のエヴァ・プウォンカは、凛とした芯のある綺麗な声、突き抜ける高音と豊かな声量で強靭、充実した存在感のある歌唱です。
気高く高貴な姫君の佇まい、男性への憎み拒む演技、カラフの情熱に次第に心の氷を溶かすなど、表現力・演技力もあります。
当初出演予定であったソンドラ・ラドヴァノフスキーは、直前に、副鼻腔炎および重度の中耳炎により降板。
ラドヴァノフスキーは最も楽しみにしていた歌手なだけに、残念です。(ToT)
代役が二人となりその二人目。

カラフ役のブライアン・ジェイドは、力強く伸びやかな美声、情熱的で充実した歌唱力と豊かな表現力です。
序盤は、やや嚙み合わない不安定さを感じたものの、次第に調子を上げた様子。
第三幕では喉がより温まったのでしょう、豊かな声量、輝かしい美声での「誰も寝てはならない」からのパフォーマンスは見事です。

リュー役のマサバネ・セシリア・ラングワナシャは、可憐で清澄な美声。
序盤は、やや癖のある発声で、声は少々細く埋もれがち…という印象でしたが(身体は大きいのに…(^^;;)、
第三幕の「氷のような姫君の心も」はしっかりと手堅く聴かせます。
いつも心揺さぶられるリューの歌唱ですが、今回はそれほど心に響かないのは何故でしょう。
全4回公演のうちの3回目を鑑賞。
その前2回では絶賛されていたようなのに、本調子ではないのか、私の好みではないのか…。

ティムール役のジョン・レリエは、深くハリのある美声で、存在感のある歌唱です。
祖国を追われ放浪の身とはいえ風格のある王様、それに相応しい佇まいです。

ピン・パン・ポンは、充実したアンサンブル歌唱、ダンサーのごとく躍動的で、軽妙な楽しい演技を披露。
特にピンの深い低音美声が良い。

皇帝アルトゥム役のアレクサンダー・クラヴェッツは、高齢の皇帝らしい、か細く弱々しい歌唱ですが、威厳は感じられます。

合唱は、力強く見事です。
児童合唱はNHK東京児童合唱団、カーテンコールでは赤い仮面(ハート型に見える…)を胸に掲げて挨拶。


アンドレイ・セルバンによる演出は、ROHで40年にもおよんで人気を博しているとのこと。
豪華絢爛、色彩鮮やかな舞台美術、太極拳や中国武術の動きを取り入れた振付で、躍動するダンサーたちが特徴的です。

開演前にカーテンは上がり、真紅の吹き流し(垂れ幕)6本が滝のように下がり、高い位置に大きな仮面4つが飾られています。
開演前にロイヤル・オペラの事務局長が登壇して、トゥーランドット役の変更についてのお知らせ。
その間に、パッパーノは指揮台に来ていたのでしょうか、直ぐに舞台上のダンサーが走り出して、パッパーノの挨拶なしに演奏開始。
舞台後方に3階建ての回廊が中央の広場を見下ろす設計、回廊に民衆としての合唱が位置して、広場でドラマが進みます。
2幕目も同様、演奏開始前に既に幕は開き、大きな仮面が3つ床に置かれています。
3幕目、漸くパッパーノは客席に挨拶、音楽が奏でられてから幕が開きます。

カラフ、リュー、ティムール、そして皇帝アルトゥム以外の登場人物は、合唱やダンサーを含めて全員、仮面を付けているか白塗り化粧をしています。
血の通わない無機質な抑圧された社会、自由のない社会、喧騒的ではあるものの活気はない世界、重苦しさ・不気味さが感じられます。
首切り役人プー・ティーン・パオの剣、それを取り囲む白仮面のダンサーたちが怖ろしいこと。
トゥーランドットは、二幕で謎解きの出題前に仮面(目のみ)を外し、三幕ではカラフに抱きしめられて仮面を外されます。

大道具・小道具・衣装など、精緻でとても豪華です。
砥石車が登場して役人が刀を研ぎ、やがて大きな月が天から下りてきます。
雲が掛かった月、その照明の変化(金色から銀色)が美しい。
トゥーランドットが現れ、月の裏にまわり陰を見せる演出…その美しさにカラフが心奪われる様子が、絵面的に巧く表現されています。
ペルシア王子の処刑、やがて大きな仮面は一つ増えて5つとなり、姫に命を奪われた王子たちの亡霊であることが分かります。
天から銅鑼が下りきて、カラフは三度叩きます。
ピン・パン・ポンが祖国を思い、郷愁に浸る場面では、淡い色で山水画が描かれた横断幕が三人の後ろを横切ります。
皇帝アルトゥムは、王座に座ったまま天から吊り下げられたり、吊り上げられたり。
台詞を言う時以外は、ほとんど寝ている状態…この皇帝、そしてトゥーランドットに支配されている…空虚で危うい世界。
カラフが三つの謎解きに正解すると、紙吹雪のように赤と白の布切れが舞います。
拷問の果てのリューの最期、そして、カラフに接吻されたトゥーランドットは失神するように倒れて、介抱しつつ名前を明かすカラフ。
トゥーランドットが誇らしげに「名前が分かった」と告げると、カラフは刀を手に自害する覚悟を示します。
おぉ、父王や奴隷とはいえ献身し尽くしたリューのことを顧みずに、身勝手で傲慢な王子と思っていたカラフ、貴方にその覚悟はあったのか…と、ニヤリする私。(^^ゞ
「その人の名は愛!」…中央の高御座で結ばれるトゥーランドットとカラフ。
幕切れ、二人の愛を祝う大団円、赤い吹き流し6本が降ろされます。
リューの遺骸を乗せた豪華な馬車とそれに付き添うティムールが、その前を横切ります。
賑やかな祝祭と無慈悲な犠牲の対比が、視覚的に成されています。

リューの死後、何事もなかったかのような唐突なハッピーエンドには、物語としていつも違和感を覚えるのですが、
哀れなリューの自己犠牲の大きさ・重要性を示す演出として、印象的なものです。

リューの死と埋葬に従う人々の様子まで作曲したところで、死を迎えたプッチーニ。
トゥーランドットの心を溶かす心境の変化・心理描写、プッチーニはどのような音楽を構想していたのでしょうね…。


トゥーランドットの衣裳は、一幕では白、二幕は赤地に黒雲(?)の模様、三幕は白地に銀の刺繍模様、
カラフによる「死の姫よ!」の呼びかけの後、マントを取り白ドレスになります。
カラフは、一幕二幕では青色の上着、三幕では赤色の上着。
リューは白色、ティムールは紫色の衣裳です。


長年愛されているだけあり、細部にも拘りのある見応えのある演出で好印象です。
とはいえ、トゥーランドットは謎めいた姫君として、カラフの愛を受け入れるまで、いつも高い位置に存在していて欲しい。
謎解きの場面など、あまりにも早く地面に降り、カラフと同等の位置で掛け合うことには、物語としての少々違和感を抱いたのです。



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2023年春に英国ロイヤル・オペラでは初めて『トゥーランドット』を指揮することになったパッパーノが、
上演に先立って行われたトーク・イベントで語ったことが興味深いので、備忘録として引用します。

「このオペラはプッチーニのオペラのなかにおいて異質なものです。…
何が異質かというと、合唱をここまで本格的に用いたのが初めてであったことだと。
そしてそれは、プッチーニがワーグナーの楽劇『神々の黄昏』に匹敵するような、グランド・オペラを超えるものを完成させたかったから…」

「プッチーニは、2年前に作曲されたストラヴィンスキーの「春の祭典」をはじめ、バルトークの実験的な試み、シェーンベルク、ウェーベルン、ドビュッシーの音楽を聴いていました。
それぞれの作曲がそれぞれ違う方向に進んでいることを十分に認識していたのです。
まさに音楽、そして芸術そのものがとても豊かに次々と生み出され、花開いた時代だったんです。
彼はそういう自分の生きている時代を十分に認識していました。
さらに、リヒャルト・シュトラウスも忘れてはなりません。
プッチーニはシュトラウスの『サロメ』を観て、魅了されています。
『トゥーランドット』には、これらの全ての作曲家のエコーを聴き取ることができます。
特にオーケストレーションのそこここにそれが表れています。
「春の祭典」の野蛮さ(savage)、『サロメ』の魅惑的な退廃、ストラヴィンスキーやバルトークの大地を感じさせるリズムなど」
(公式HPより)